県高校野球選手権 投手陣でつかんだ優勝 柳ケ浦、接戦制し夏へ弾み 【大分県】
野球
スター候補生インタビュー① 野球 若杉晟汰(明豊高校3年)「強気のピッチングで1年目からローテーション入り目指す」
高校2年の頃からエース番号を背負い、春のセンバツ高校野球のマウンドに上がった若杉晟汰。最終学年となってからはキャプテンを担い、本気で日本一を目指した。しかし、コロナ禍でセンバツも夏の全国高校野球選手権も中止。途方に暮れながらも自分と向き合い、代替大会となった甲子園高校野球交流試合でベストピッチングを見せて、社会人野球という次のステージを射止めた。172㌢、70㌔。投手として決して恵まれた体格ではないが、キレのあるストレートを武器に強気のピッチングで躍動した左腕。激動の1年間を振り返り、来るべき新シーズンへの思いを語った。
Q:今年1年を振り返っての感想は?
新型コロナウイルスの影響で次々と大会が中止となり、日本一を目指すことさえ奪われた。目標がなくなり、残念で悔しい思いしかなかったです。センバツ中止の知らせを聞いたときは「夏がある」と気持ちを切り替えることができましたが、夏の大会が中止になったときは、頭が真っ白になり、夢か現実かはっきりしなくて、言葉が出ませんでした。次の目標を見つけ出すまで少し時間がかかったけど、ここで何もしなくて終わるのではなく、(プロ野球や社会人野球など)上でやるために練習しなければいけないと思って、練習に取り組むことができました。
Q:その成果は甲子園高校野球交流試合で出せたのでは?
チームの勝利のためにという思いもありましたが、自分をアピールする最後の場所だと思っていたので、1試合にかける思いは強かったです。今までで一番いいピッチングができ、高い評価をいただきました。観客のいない甲子園の雰囲気は異様でしたが、自分たちの代でつかんだ甲子園は、2年の頃に経験した甲子園とは別物でした。高校野球にとって甲子園って最高だと、あらためて思いました。
Q:2年から「明豊のエース」として活躍しましたが、プレッシャーはあった?
当時から責任感やエースとしての心構えはあったつもりですが、先輩が自分のことだけに集中できる環境をつくってくれて、伸び伸びできました。3年になってからはキャプテンになったこともあり、これまで以上に責任が重くなったけど、2人の副キャプテンのサポートがあり、助かりました。
Q:大分商業で同じく2年からエースの川瀬堅斗選手を意識したことは?
周りが思うほどライバル心はなかったし、上には上がいると思っていました。2年からエースで、3年ではキャプテンという境遇は同じでしたが、意識することはなかったです。マウンドを降りたら仲は良かったし、お互いに連絡を取り合ったりしています。違う道に進みますが、川瀬には早く(プロ野球オリックスの)支配下選手になってもらい、1軍のマウンドで活躍してほしいです。
Q:目標のプロ野球ではなく社会人野球の名門ENEOSを選んだ理由は?
交流試合でのピッチングを評価してくれて、オファーをいただいたときに「プロ野球を目指している」と伝えたのですが、「返事はドラフトが終わってからでも構わない」と言ってもらいました。すごい評価をしてくれていると感じました。結果的にENEOSで野球をすることになりましたが、社会人野球はレベルが高くて、個々の能力もプロ野球と変わらないと思っています。そこでプレーできるのは素直にうれしいです。自分の持ち味のキレのある真っすぐで打者と対戦したい。1年目からローテーションに入って、チームに貢献したいとの思いは強くなっています。
Q:高校3年間で得たことは?
明豊で野球ができたことは誇りに思います。監督やコーチ、仲間には感謝しかないです。指導者には野球以前のこと、野球をしていないときにどんな人間であるべきかといった人間性を学びました。仲間はみんな野球への意識が高く、負けず嫌いの集団だったからこそ、粘り強い試合ができたし、逆転する試合も多かった学年だったと思います。試合で結果を出し、自信がついて強気のピッチングができるようになったし、この3年間ですごく精神面が鍛えられました。次のステージでも高校で培った経験を生かしたいです。
1年目からの活躍を誓った若杉晟汰
(柚野真也)
スター候補生インタビュー
②バレーボール 室岡莉乃 (東九州龍谷高校3年)「最高で金、最低でも金」
③サッカー 弓場将輝(大分トリニータU―18/大分東明高校3年)「死に物狂いでつかんだトップチームへの昇格」
④野球 川瀬堅斗(大分商業高校3年)「高校3年間の野球生活に悔いなし。積み上げたものを出したい」