トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑦ 浮気哲郎(大分トリニータヘッドオブコーチング)

2020/05/16
  • 大分トリニータ

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの光と影の歴史を彩った個性豊かな選手たちのインタビュー企画。第7回は2002年にJ1に昇格したチームをキャプテンとしてけん引した浮気哲郎。引退後はJFLやJクラブ、海外でコーチや監督を歴任し、19年に古巣のヘッドオブコーチングに就任した。

 

サポーターの愛を感じた貴重な2年間

 

Q:2002年に大分に加入しましたが、3年連続J1昇格を逃した当時のチーム状況はいかがでしたか?

 実を言うとあの年は何がなんでも昇格するというチームづくりではなく、1、2年かけて確実に昇格できるようなチームづくりという流れだったと記憶しています。それまでの大分を知らないですが、02年に集まったメンバーは非常に真面目で、努力ができる選手、スタッフがそろっていました。そういうなかでみんなが主役というか、チームのために頑張ろうという思いで1年を過ごしました。

 前から在籍している選手の強い思いを感じ、その年に集まった他のメンバーの思いはわかりませんが、僕個人としては一試合一試合を大切にして、勝ち点3を積み上げること以外は考えていなかった。変なプレッシャーはなかったです。

 

Q:開幕から好スタートを切り、堅守速攻で見事に昇格を勝ち取りました。

 選手全員がチームの勝利のために泥臭いこと、汗をかくこともやってくれた。しっかりとした守備からチャンスを見て得点する試合運びが、年間を通して自然とできていました。僕らは守ってカウンターを狙っていたわけではないけど、結果的にそんな印象になったのかなと思います。チームは手応えをつかみながら、しっかりと進んでいったシーズンだったと思います。

 大分に移籍して、ファン、サポーターの昇格したい思いが、試合を重ねるごとに伝わりました。苦しい時期もあったけど、応援が背中を押してくれました。(41節)大宮戦で、応援してくれた方々に「昇格できました」と報告できたときはほっとしました。それまで悔しい思いをしてきた多くの選手、スタッフの分の思いをかなえることができて良かったと思ったのを覚えています。

 大分での2年間は、僕のプロキャリアの中でも有意義な2年間でした。1年目は昇格という大きな仕事ができ、素晴らしい仲間とサポーターに巡り会えました。2年目は残留争いで厳しかったシーズンでした。個人的には開幕から数試合でしか絡めず、悔しい思いと不本意な思い、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ただ、これほどクラブを愛しているサポーターがいることを実感できたシーズンはなかったです。こうやって大分に戻って仕事をさせてもらっていますが、サポーターに愛されているクラブだと教わった貴重な2年間でした。

 

キャプテンとしてJ1昇格をけん引した浮気哲郎

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