県スポーツ少年団駅伝交流大会 男子 豊後高田陸上クラブが連覇達成 【大分県】
陸上競技
スター候補生インタビュー 陸上競技 児玉芽生(大分雄城台高校3年)
高校最後の年にインターハイ、国体(女子100m)で日本一となった児玉芽生(大分雄城台高校3年)。1年生の頃から頭角を現したが、度重なるけがで周囲の期待に応えられずにいた。苦しみ続けた時期を乗り換え、見事に花を咲かせた児玉が3年間の競技生活を振り返る。
-高校3年間を振り返って、どんな競技生活でしたか?
1、2年生の時は、両足の太ももの肉離れ、足の指の疲労骨折などけがに苦しみました。日本一になるという目標は入学当時から決めていましたが、どこか漠然としていました。しかし、姉が日本一になるのを見て、本気で陸上に取り組むようになりました。最後は仲間や先生方に支えられて日本一になれたので、陸上をやり続けて良かったなと感じた3年間でした。
-日本一になったことは、自分の中では想定内ですか?
顧問の穴井伸也先生を信じて練習すれば日本一になれると思っていたので、想定内です。1年生の時に「お前は普通に練習すればいい。絶対に全国3位に入賞させてやるから」と日誌に書いてあって、先生を信じようと思いました。3年生のインターハイと国体の時に「芽生は芽生らしく走ればそれでいい」と言われて、実際に自分らしく走ることで結果が出せたので、良かったと思っています。
-日本一になった瞬間はどうでしたか?
インターハイも国体も僅差だったので、速報を見ないと勝ったかどうか分からなかったのですが、ゴールした瞬間はすぐ穴井先生を探しました。その時に喜んでいたので、優勝したんだなと思いました。周りの方が喜んでくれたことが嬉しかったです。
-高校3年間で一番思い出に残っている大会は?
高校2年の北九州大会(全国高校陸上競技対校選手権大会北九州地区予選大会)です。400mで予選落ちして、すごく悔しかったので、100mで挽回しようとしましたがフィニッシュの時に足の指を骨折しました。それでも何とか200mで3位入賞することができたのですが、リレーではチームの足を引っ張ってしまいました。その時は陸上を辞めようと本気で思いました。いい思い出ではありませんが、自分を成長させてくれた大会となりました。
インターハイ、国体で日本一となった
-高校卒業後の進路は?
福岡大学に進学します。福岡大学の監督が穴井先生の大学の先輩ということで、考え方などもすごく似ていたので、福岡大学に決めました。高校3年間で監督との関係性がすごく大事だなと感じたので、考え方が穴井先生と似ているという点では不安はあまりありません。
-大学1年目をどのように位置付けていますか?
個人的な目標は、まずは世界ジュニア選手権に出場することです。チームとしては、リレーなどで結果を残したいです。団体戦で優勝することで、大学の名前を全国に広めたい。福岡大学は陸上の世界では、まだまだ強豪校とは言えないので、結果を出すことで有望な選手が集ってくるようになればと思っています。
-自分が全国で通用する部分はどこだと思いますか?
やる時はやる部分だと思います。自分の走りをそんなに速いと思ったことはないです。爆発力はあるけれど安定感がない。調子がいい時は体が勝手に動きます。風に押されるような感じで、どんどん進みます。その感じを、その走りを毎回できるようにしたいです。
-今後の目標を聞かせてください。
大学では、個人種目(100、200m)とリレーで優勝したいです。大きな目標は、2020年の東京オリンピック出場です。2年後は大学3年生なので年齢的にもちょうどいい時期だと思っています。
-後輩へのメッセージをお願いします。
後輩から「絶対に芽生先輩を超えますよ」と言われます。言葉だけでなく、一緒に走ったり、私のいい部分を真似ようとしたり、本当に強くなりたいという気持ちが伝わってくるので、自分を超えてほしいなと思います。
東京オリンピック出場が夢ではなく目標となる
(緒方美香)