県高校野球選手権 投手陣でつかんだ優勝 柳ケ浦、接戦制し夏へ弾み 【大分県】
野球
3年生、夏物語 vol.8 野球 明豊主将の看板を背負った幸修也(3年)、甲子園の土を3度踏み「幸せだった」
最後の夏は日本一に届かなかったが、「悔いはない」と振り返る。高校球児が憧れる甲子園に春夏連続出場を果たし、昨夏の交流戦にも出場した明豊のキャプテン幸修也。3度も甲子園の土を踏み、そのうち春のセンバツ(第93回選抜高校野球大会)では準優勝を経験した。幼い頃から別府で野球を続けた“地元っ子”は、本人だけでなく周囲からの期待も高まりすぎて、冷静に物事を見られなくなりそうな時期もあったが、信頼する仲間に支えられた。「地元の方々にいい報告ができなかった」ことは悔しかったが、甲子園で高校野球を終えたことは「幸せだった」と喜びをかみしめた。
169cm、65kgの幸は決して恵まれた体型ではないが、幼い頃から憧れの選手を追いかけた。プロ野球で活躍する今宮健太(明豊出身、福岡ソフトバンクホークス)だ。「同じ別府出身で小柄なショート」との類似点が幸のモチベーションだった。小学校の頃、野球教室を訪れた今宮と対戦したこともある。「あのときは僕がピッチャーで今宮さんが打席に入った」と思い出話を語る表情は野球少年そのもの。
プレーでもチームを引っ張った幸修也
今宮を追い、明豊を志望するのは必然だった。全国から実力のある選手が集まることも承知の上、レベルの高い高校で野球をしたいとの思いが強く入学した。川崎絢平監督の「当たり前のことを当たり前にできる選手になれ」との言葉が胸に響き、入学当初は不安だらけだったが、次第に「軟式野球出身の自分が試合に出ることができたらカッコいい」と思えるようになり、練習に没頭した。すぐに頭角を現し、1年の秋からメンバー入り、最上級生になった新チームからはキャプテンとしてチームを引っ張った。
明豊のキャプテンという肩書は重かったが、日本一を目標と掲げたチームのために「高いレベルを要求できるキャプテンになろう」と誓い、自分のパフォーマンスだけにとどまらず、同級生や下級生に高い意識を求め、時には強い口調で叱咤(しった)することもあった。川崎監督は「幸を中心にまとまったいいチームだった」とたたえ、小学生の頃から幸を知る黒木日向(3年)は、「チームのことを一番に考えてくれた修也がいたから、自分たちの代は春夏連続出場ができたといってもいい」と感謝を口にした。
明豊史上最高の全国準優勝に輝いたチームのキャプテンは、これまでの歴代のキャプテンと比較しても遜色ないどころか、一、二を争うキャプテンシーを発揮した。明豊キャプテンの荷を下ろし、プレッシャーから解放された今は「単純に野球を楽しめている」と後輩と一緒に汗を流しながら、「大学野球、社会人野球に挑戦したい」と大好きな野球を続けるつもりだ。
キャプテンをしたことで成長できたと語った
(柚野真也)