
県高校総体 バレーボール男子 仲間との絆で栄冠をつかんだ大分南 【大分県】
バレー
全日本高校選手権大会(春の高校バレー)の激戦から2週間。荒木彩花(2年)は“チームの顔”となるキャプテンとしてコートに立っていた。「これまでキャプテンなんてやったことないし不安だったけど、みんながついてきてくれたことに感謝したい」。184㌢の大きな体を丸めて話すその姿はキャプテンと呼ぶにはまだ頼りないが、バレーボールの名門“東龍”の看板を背負って立つ覚悟はひしひしと伝わった。
全国都道府県対抗中学生大会で最優秀賞を受賞し、鳴り物入りで東九州龍谷(東龍)に入学。その後も各年代別の日本代表に選出され、昨年はアジアジュニア女子選手権大会(U-19)の日本代表の一員として優勝に貢献した。将来の全日本での活躍が期待される逸材だが、バレーボールを始めたのは中学生からと遅い。それまで水泳を1年程度習ったぐらいでスポーツとの関わりはなかった。「両親がバレーをしていたので体験入部してみた」。始まりは小さなきっかけだが、中学1年にして171㌢、運動神経がよく、人並外れたパワーでメキメキと頭角を現す。180㌢を超えた中学2年の頃には、一つ上の学年の福岡県選抜に選ばれ、ここで大きな成長を遂げる。2年後に東龍で一緒にプレーすることになる平山詩嫣(3年)、園田風音(3年)と出会い、多くの刺激を受けた。
同じポジションの平山は良き手本だった。ミドルブロッカーとして自分に足りないものは明らかで、「相手の攻撃を仕留めるブロック、次の攻撃につなげるブロック。スパイクで打てるコースの幅、スピード、バリエーション、(自分は)すべてが劣っていたし勉強になった」。セッター園田の変幻自在のトスは、これまで眠っていた荒木の能力を引き出し、バレーボールの奥深さと楽しさを教えてくれた。
新チームのキャプテンとなった荒木彩花
そんな二人の後を追って東龍に入学したのは必然のこと。15歳の春に自宅を離れ、女子バレー部の部員と共に寮生活に入った。ただ、ここからバレーボールの厳しさを知る。日本一を宿命づけられた東龍に集まるのは、全国でも優れた選手たち。その高度なプレーに対する衝撃は大きかった。萎縮する荒木だが「まだ1年生なんだし思い切りやればいい」と平山と園田の言葉に救われ、東龍の高速コンビバレーに柔軟に対応した。相原昇監督は「身体能力は抜群。大きいのに器用さがあり、素直なので聞く耳を持っていた。僕が教えることをすぐに吸収した。判断する力を突き詰めれば上に到達するのは早い。あの高さが武器になるのは間違いない」と入学してすぐの公式戦に出場させ、その年の夏の全国高校総体(インターハイ)で日本一を経験させた。「練習はきつかったけどやった分だけ結果がついてくる。勝利の喜びを味わえた」(荒木)。
2年生となり先発に定着してからは、プレーだけでなく居場所もつかんだ。「天然というか不思議キャラ。体が大きいのに動きが小さいので何をしても面白い」、「真面目で不器用なのがカワイイ」と先輩に可愛がられ、同級生や下級生と楽しく過ごせるようになる。この頃からスパイクやブロックを決めたときに出るガッツポーズが大きくなり、周りを勇気付け、チームに勢いを与えるようになった。荒木は「あまり意識したことがないけど気持ちをプレーに出せるようになった」と話す。
2年間弱、先輩に導かれ高校バレーボールの3大大会となるインターハイ、国体、春の高校バレーに2年連続出場した。日本一に1度、準優勝は3回、3位は2回と輝かしい実績を積んだ。代替わりし、新チームを自分が引っ張る立場となった。年明けの春の高校バレー決勝で敗れ、ロッカールームに引き上げる際に、「ここまで一緒に頑張れたのは彩花のおかげ。ありがとう。これからは彩花たちの時代。思い切りバレーを楽しんで、勝利にこだわってほしい」と、尊敬する平山にチームを託された。荒木は「これから甘えは許されない。平山さんのように口よりプレーで引っ張るキャプテンになりたい。これまで先輩たちが築いた伝統を守り、“3冠”を目指す」と宣言した。
今年7月に女子ジュニア世界選手権を控えている。これまで数多くの東龍の先輩たちが出場してきた日本代表への登竜門だ。ここでの活躍は今度の道を大きく拓くことは間違いない。オリンピック出場を目指す荒木にとって重要な年となる。「東龍で結果を出して、その後に代表がある。私は東龍で日本一になりたい。このメンバーならできる」。あくまでも東龍の一員であり、全国制覇こそが課せられた使命ということだろう。東龍愛にあふれた新キャプテンに注目だ。
春の高校バレー決勝後に尊敬する平山詩嫣からチームを託された
(柚野真也)
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