オオイタのオリンピアン① 中村哲明(メキシコオリンピック・ボクシング)
2020/04/28
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“昭和の牛若丸”と称され、「打たさずして勝つ」アウトボクシングで戦歴を重ねたボクサーがいた。1968年、メキシコオリンピックの男子フライ級に出場した中村哲明さんだ。初めての海外渡航、それがオリンピックだった。「高校1年でボクシングを始めて5年後、あっという間の出来事だった」と当時を振り返る。地元メキシコの選手に準々決勝で敗れた。「勝利への欲がなかった。今思えばもっと手数を増やしていれば良かったかな」と話す。帰国後は大学卒業まで現役を続け、卒業後は指導者の道を歩んだ。
ボクシングを始めたのは津久見高校1年の春。中学でバスケットボール部に所属していたが万年補欠だった中村少年に、当時のボクシング部の顧問が声を掛けたのがきっかけとなった。腕っぷしが強かったわけではない。運動より勉強が好きだった優等生は殴り合いを好まなかった。「痛い思いをしたくない。パンチをもらわないことを第一に考えた」と、距離とタイミングの支配を競う競技性を高めたことが、その後の連勝街道の爆進につながる。相手のパンチをヒラリと交わし、有効打を確実に決める。中村さんは「相手のパンチが当たった記憶がほとんどない」と語る。試合成績は100試合以上でダウン経験はないとのこと。「ボクシングは技術」との考えは、指導者になっても中村さんの幹を成している。
メキシコオリンピックに出場した中村哲明さん