
【指導者の肖像〜高校スポーツを支える魂〜】 信じる力が未来を変えていく 柳ケ浦高校バスケットボール部監督・中村誠(前編)
バスケ
高校3年生にとって最後の公式戦となる冬の全国大会。県代表の誇りを胸に集大成として大一番に臨んだ選手を追った。
試合後に大粒の涙がこぼれた—。創部4年目で初めて手にした全国大会は2回戦敗退。別府溝部学園高校バスケットボール部の全国デビュー戦が終わった。全国高校バスケットボール選手権大会(ウインターカップ)の1回戦、序盤からリードを奪う理想的な展開となり、終盤に追いつかれたが高さとスピードを生かした攻撃で逃げ切り、全国初勝利を手にした。勢いに乗って挑んだ2回戦は古豪相手に互角の戦いを演じたが、勝負所でミスを連発して惜敗する。キャプテンの島袋琉太は「よくここ(全国大会)まで来られたという思いはあるが、今はもっとやれたんじゃないかという悔しい思いの方が強い」と声を震わせた。
別府溝部学園がバスケットボール部の強化を始めたのが3年前。県内外から有望な選手に声を掛けたが、思うように人数がそろわなかった。指導スタッフも練習場所も定まらずハード、ソフト両面で強化と呼ぶにはお粗末だった1年目。原川中学校から全国大会出場を夢見て入学した鳥生竜之介は回想する。「コート1面も取れない体育館で週に数回程度しか練習ができない。人数も少なく、全国どころか県内で勝つことさえ難しいと思った」。沖縄から越境入学した島袋、真栄田・龍・デビンは「話が違う」と青ざめた。それでも「自分たちが溝部学園の歴史をつくる」とバスケットボールをやめようとは思わなかった。
転機となったのが2年目。昨年12月のウインターカップで優勝した福岡第一高校出身の末宗直柔氏がコーチとして赴任してから状況が一変した。「コーチが来てから全てが変わった。選手も増えたし、しっかり練習ができるようになった」と鳥生。フットワークからハンドリングなど基礎練習を徹底し、個々の能力を高めることに重点を置き、「高さとスピードを生かした攻撃的バスケ」を目指した。ただ、この時は能力の高い選手の「寄せ集め」のチームという印象が強く、大きな成果を得ることはできなかった。
3年生の奮闘でウインターカップ1回戦を突破した
そして、強化3年目の今年度は中国出身の身長2㍍の陳凌霄(チャンリンショー、2年)に続き、ウガンダ出身の2㍍7㌢のザリメンヤ・カトウ・フセイン(1年)の留学生ビッグマンをインサイドに据え、攻撃の破壊力は増した。さらに、チームに規律を植え付けるために姫島で野営キャンプを実施するなど選手の結束力を高めた。全国強豪校と練習試合を数多く組み、「全国で勝てるチーム」を目指した。6月の県高校総体ではベスト4入りし、「ようやく優勝を目指せる位置に来た」(真栄田)と手応えをつんだ。強化1期生となる現3年生にとって最後の大会となるウインターカップで見事に県代表の座を勝ち取り、全国行きの切符を手にした。
「全ては末宗コーチが来てから変わった。優勝は狙っていたけど、まさか自分たちの代で全国大会に行けるとは思っていなかった」と鳥生は話し、島袋は「最高のチームで最高のバスケができた」、真栄田は「優勝なんて絶対無理だと言われていたが全国まで来ることができた。コーチを信じ、自分たちを信じた結果だと思う。最高の3年間だった」と振り返る。不遇の時代を過ごした3年生で、夢を諦めず、自分たちを信じたのは3人しか残らなかったが、別府溝部学園の礎を築いたのは間違いなく3年生の3人だ。末宗コーチは「もっと全国で勝つ喜びを味わせたかったが、よくここまで頑張ってくれた。3年生のバスケに対する思いは1、2年生に十分引き継がれた」と感謝の言葉を並べた。
別府溝部学園が強豪校と呼ばれるようになるには、これから全国大会への出場回数を増やす必要がある。島袋は「全国で優勝争いができるチームになってほしい」と後輩に思いを託す。数年後に歴史を振り返ったときに、「あの時の3人がいたから今がある」と語り継がれる日がくるかもしれない。3人は今後も異なる道で競技を続ける。
3年生の集大成となった全国の舞台
(柚野真也)
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