県高校野球選手権 投手陣でつかんだ優勝 柳ケ浦、接戦制し夏へ弾み 【大分県】
野球
3年生、夏物語 vol.4 野球 僕が明豊を選んだ理由 黒木日向(3年)
幼い頃からの夢舞台だった甲子園。春夏連続出場した明豊の主力として、「思い切り野球を楽しんだ」と黒木日向。今は後輩の指導をしながら、次のステージとなる大学野球に向けて再出発を図る。「日本一の目標を成し遂げられなかったのは次への課題だが、明豊で高校野球ができたことを誇りに思う」と穏やかな表情で語った。
春のセンバツ(第93回選抜高校野球大会)では準優勝の立役者となり、一気に全国区の好打者として注目を集めた。全5試合に出場し、チームトップ打率の5割、7打点、1盗塁をマーク。決勝では四番を打ち、「センバツでは理想のプレーができた」。このときの打撃感覚、精神状態は黒木の「立ち返る場所」として脳内にインプットされた。
日本一の最後のチャンスとなった夏の全国高校野球選手権に向けた県予選では、見えない“センバツ準優勝”のプレッシャーに悩まされた。「絶対に負けられないという思いが強く、考えすぎて調子は良くなかった」。センバツのプレーを見直し、「楽しんでこそ野球。結果は後で付いてくる」と我に返ると、黒木らしい広角に打ち分ける柔軟なバッティングが戻った。県予選では4割2分1厘、3打点、7盗塁と結果を残した。
確かな手応えをつかみ、挑んだ夏の全国高校野球選手権は雨で順延が続き、万全のコンディションで試合はできなかった。「集中力が切れた部分もあったかもしれないが、それは他の学校も同じ」と言い訳はしなかった。相手の好投手を打ち崩せず、初戦敗退。「もう終わったんだと思った。力を出せなかったのは自分の力不足」。思い描いた終わりではなかったが、高校球児憧れの舞台に2度も立った。そこまでにたどり着いた過程に思いをはせた。「明豊に来て間違いなかった」と改めて思う。
春夏の甲子園に出場した黒木日向
黒木は「甲子園に出る最短距離が明豊」との理由で志望校を選んだ。野球の町・津久見で育ち、小学生の頃から野球は身近な存在だった。甲子園の憧れが目標となったのは中学の頃。早い段階から硬球に慣れようと大分南リトルシニアに入り、2年の頃から主力として全国大会に出場し、実績を積んだ。
県内トップクラスの好打者として明豊に入学したが、黒木と同様に全国から甲子園で活躍することを目標とする選手が集まる明豊のレベルは練習から違ったという。「今まで見たことのないレベルで練習をしていた。レギュラーになれるとは思えなかった」が正直な感想だったが、「ここなら野球がうまくなれる」と素直に思えた。
うまくなりたい一心で白球を追い、バットを振った。先輩の野球に取り組む姿勢を学び、同級生と励まし合った。「辛いと思ったことはない。成長できている実感があり、楽しかった」。自分たちが最上級生となった新チームでは、主力の一人としてチームを引っ張る立場になっていた。「甲子園に出場する」ことが目標だったが、チームの掲げる「日本一を目指す」ことで、さらなる飛躍を遂げ、センバツの好結果へとつながった。「寮も学校も全ての生活が一緒だった。同級生32人は友だちというか家族のような存在。最高の仲間と明豊でしか味わえない時間を過ごせたのは僕の野球人生で最高の宝物となる」。卒業までの半年間は最高の仲間と野球を楽しむつもりだ。
「明豊で野球ができたことを誇りに思う」と語った
(柚野真也)