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トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑦ 浮気哲郎(大分トリニータヘッドオブコーチング)

トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑦ 浮気哲郎(大分トリニータヘッドオブコーチング)

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの光と影の歴史を彩った個性豊かな選手たちのインタビュー企画。第7回は2002年にJ1に昇格したチームをキャプテンとしてけん引した浮気哲郎。引退後はJFLやJクラブ、海外でコーチや監督を歴任し、19年に古巣のヘッドオブコーチングに就任した。

 

サポーターの愛を感じた貴重な2年間

 

Q:2002年に大分に加入しましたが、3年連続J1昇格を逃した当時のチーム状況はいかがでしたか?

 実を言うとあの年は何がなんでも昇格するというチームづくりではなく、1、2年かけて確実に昇格できるようなチームづくりという流れだったと記憶しています。それまでの大分を知らないですが、02年に集まったメンバーは非常に真面目で、努力ができる選手、スタッフがそろっていました。そういうなかでみんなが主役というか、チームのために頑張ろうという思いで1年を過ごしました。

 前から在籍している選手の強い思いを感じ、その年に集まった他のメンバーの思いはわかりませんが、僕個人としては一試合一試合を大切にして、勝ち点3を積み上げること以外は考えていなかった。変なプレッシャーはなかったです。

 

Q:開幕から好スタートを切り、堅守速攻で見事に昇格を勝ち取りました。

 選手全員がチームの勝利のために泥臭いこと、汗をかくこともやってくれた。しっかりとした守備からチャンスを見て得点する試合運びが、年間を通して自然とできていました。僕らは守ってカウンターを狙っていたわけではないけど、結果的にそんな印象になったのかなと思います。チームは手応えをつかみながら、しっかりと進んでいったシーズンだったと思います。

 大分に移籍して、ファン、サポーターの昇格したい思いが、試合を重ねるごとに伝わりました。苦しい時期もあったけど、応援が背中を押してくれました。(41節)大宮戦で、応援してくれた方々に「昇格できました」と報告できたときはほっとしました。それまで悔しい思いをしてきた多くの選手、スタッフの分の思いをかなえることができて良かったと思ったのを覚えています。

 大分での2年間は、僕のプロキャリアの中でも有意義な2年間でした。1年目は昇格という大きな仕事ができ、素晴らしい仲間とサポーターに巡り会えました。2年目は残留争いで厳しかったシーズンでした。個人的には開幕から数試合でしか絡めず、悔しい思いと不本意な思い、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ただ、これほどクラブを愛しているサポーターがいることを実感できたシーズンはなかったです。こうやって大分に戻って仕事をさせてもらっていますが、サポーターに愛されているクラブだと教わった貴重な2年間でした。

 

キャプテンとしてJ1昇格をけん引した浮気哲郎

クラブの哲学を整理し、育成基盤をつくる

 

Q:19年から“大分に戻り”、ヘッドオブコーチングに就任しましたが、その経緯は?

 西山哲平がGMになる前から、チームを離れた後も連絡がありました。いつも僕が困ったときに連絡をくれていた印象です。そういう中で、僕は18年に富山の監督を解任された後、海外で指導のキャリアを積んでいました。そのときに電話があって、「大分独自の育成クラブをつくりたいと考えているけど、どうですか」と早いタイミングからオファーをもらっていました。そういうつながりで、このクラブに戻ってきました。

 ヘッドオブコーチングとは、簡単に言えば「観る人に感動を与える躍動感のあるサッカー」というクラブの哲学を指導者と共有し、何をするのか整理整頓することですかね。

 

Q:アカデミーの指導者は、大分でプレー経験のある選手が多いですよね。

 どの指導者もクラブに貢献し、選手に教えたいという思いはありますが、大分でプレーしたことのある選手が指導者として戻ってくることは、そこの温度が2倍も3倍も熱くなる。強い思いがあって、クラブや選手のために汗をかける人が集まるのも大分らしさ。Jクラブのモデルになると思っています。

 大分の育成は昔から定評があるので、僕だけでなくアカデミーのスタッフは責任を感じています。アカデミーからトップまで選手を大切に育てる姿勢がクラブから出ています。過去からつながっている育成力ですが、そのスピード感を上げるために全力を尽くしたいと思っています。

 

Q:昨年はアカデミーの選手の海外派遣がありました。

 クラブがなくなるかもしれないという大変な状況を経験し、やりたい事がなかなかできなかった。そのひとつが育成年代の国際経験でした。経営状況が立ち直り、昨年から実現できました。育成年代の吸収力は我々の想像以上で、感受性の高い時期に海外のサッカー、文化に触れることは大きな成長や経験になり、手応えを感じています。今年もU―15の選手をスペインやポルトガルに連れていくはずでしたが、コロナの影響でキャンセルになったことは残念です。

 

Q:では最後にトップチームに望むことは。

 昨年からトップチームの練習を見ていますが、スタッフも選手も地に足をつけて真面目にサッカーと向き合っています。サッカーを大事にしている空気感を感じるし、クラブの求める結果を目指しながら、選手を成長させることができているので充実しています。望むことがあるとすれば、これからもトリニータらしくひた向きに全力で取り組むチームであってほしいです。

 

 

■プロフィール■

うき・てつろう/1971年10月4日生まれ、千葉県出身。東京ガス→市原→東京ガス→大宮→山形→大分→湘南→横浜F C→刈谷、大分トリニータ在籍は2年間。J1通算12試合0得点、J2通算218試合3得点。現役時代は各カテゴリーを経験し、どのチームでもキャプテンシーを発揮してチームを引っ張った。引退後も各カテゴリーで監督、コーチを経験し、2019年から大分のヘッドオブコーチングとして育成を統括する。

 

 

(柚野真也)

 

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