トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑤ 西山哲平(大分トリニータGM)

2020/05/04
  • 大分トリニータ

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの光と影の歴史を彩った個性豊かな選手たちのインタビュー企画。第5回は、2002年のクラブ初のJ1昇格に貢献し、その後はチームに欠かせないユーティリティー選手となった西山哲平。引退後はフロントの一員として手腕を振るうGMが、クラブの歴史をひもといた。

 

チームに欠かせない存在になる

 

Q:現役時代は2002年に大分に加入し、その年に“悲願のJ1昇格”の立役者の一人となりました。

 加入した初年度にJ 1昇格という成績を残せましたが、その前年、前々年にギリギリのところで昇格を逃した背景を知っていました。大分への移籍を決めたとき、それ相応の覚悟を決めて来ました。深くいえば、前年度にトリニータと対戦するときは就職活動のような思いで自分をアピールしていたのを思い出します。当時は(在籍していた)山形より大分の方がJ1に近いチームだったことは確かで、評価してもらって移籍できたことはうれしいことでした。僕を含めて新加入の選手が多かった年でした。プレシーズンからチームづくりが順調とはいえなかったという記憶が強いです。トレーニングマッチでは勝てない試合が多くて、すごい不安を感じて開幕戦を迎えましたが、手堅い試合が多かったなかで勝ち点を積み上げ、負けないチームになったと思います。

 

Q:昇格後は毎年、残留争いを強いられました。

 昇格しても盤石な戦力が整っていたわけではなく、相当な苦労はすると思っていました。ただ、長丁場のJ2(当時は44試合)を勝ち抜いたことで、チームに粘り強さは根付いていた。小林伸二監督はそういうチームをつくる監督だったので、勝負に対する強い気持ちを大事にする集団になっていました。

 

Q:大分での現役時代は中核を担いましたが、印象に残ったシーズンは?

 僕は一人で局面を打開できるような選手じゃなかったので、どんな役割でもできる、チームに欠かせない存在になりたいと考えていました。特にベテランと呼ばれる年齢になってからは、先発の11人に入ってなくても、与えられた時間で仕事ができる存在になろうと思っていました。その中で充実したシーズンと言われれば、ナビスコカップで優勝した2008年は確かに大きな出来事だったのですが、2002年に昇格を決めた年も非常に思い出深い。クラブにとって初めてJ1をつかんだ年というのもあり、甲乙つけがたいですね。

 

適時・適材・適所で活躍した西山哲平

 

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