
大分トリニータ シーズン総括 戦い方を徹底できず低迷、降格危機で現実路線へ 【大分県】
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先例のないコロナ禍を前に、スポーツの在り方が問われた2020年。これまでと異なる制限下で、アスリートたちは感染を防ぐために自らを律し、ピッチやコートで自らを解放し、競技ができる喜びを体全体で表現した。新しい年を迎え、活躍が期待されるうし年生まれの県内に縁のあるアスリートに抱負などを語ってもらった。第1回は新天地を求めJ1の横浜Fマリノスに移籍した宇佐市出身の岩田智輝。自分のサッカー人生を考慮し、悩んだ末にたどり着いた決断だった。
中学生の頃から大分トリニータのアカデミー(下部組織)に所属し、サッカーの技術を磨いた。G K以外のすべてのポジションを経験したことでプレーの幅を広げ、プロ入り後は中盤や最終ラインでプレーし、出場機会を伸ばした。岩田は「J3の頃から辛抱強く使ってもらった大分には感謝している。今の僕があるのは大分でプレーした5年間のおかげ」と感謝する。クラブは粗削りな高卒新人を1年目から起用し、実戦で成長を促した。プロ入り当初の岩田は、持ち味の攻撃力を発揮しようとやみくもに攻め上がる場面が多かったが、経験を積むことで状況判断力を養い、組織の中で効果的にプレーできる選手に進化した。
チームでの活躍が認められ、東京五輪代表、日本代表に選ばれるまでに成長。そこで世界の屈強なFWやくせ者たちと対戦した。「当たりが強く、動きも速い。これまでに体験したことがない感覚だった。今のままでは通用しない。成長するためには海外でプレーしなければ」。偽らざる心境だった。
海外でのプレーを実現するために移籍を決意した岩田智輝
昨年は大分の不動の3バックとして安定感のあるプレーを見せた。リーグ戦で国内のアタッカー陣を阻止。1対1の守備で劣勢になる場面はほとんどなく、攻撃においては後方から攻撃を組み立て、判断の良いオーバーラップで攻撃に厚みをもたらした。課題であったサイドチェンジ、クロスの精度が格段に上がった。東京五輪が開催され活躍が認められれば、海外への移籍を視野に入れていたが、描いたプランがコロナ禍で崩れた。「海外チームからのオファーが届かなかったのは自分の実力不足」と認めたが、このままでは飛躍的な成長が望めない。「環境を変え、高いレベルで競争できる厳しい環境が必要」。岩田の視線がワンランク上に向けられたのは自然な流れだった。
「移籍を決断したのは、自分の夢でもある海外でのプレーを実現するため。大分から海外に行きたかったが、自分の実力不足でかなわず、申し訳ないと思っています。大分での経験を生かして、これからもっと成長できるように頑張っていきます」。岩田は最後まで感謝の思いを口にした。選手としての土台を作り、上昇のきっかけになった生まれ故郷。後ろ髪を引かれながらも、岩田は次のステージへと進む。
大分でサッカー選手としての土台を築いた
(柚野真也)
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