トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑥ 吉村光示(大分トリニータU-18監督)

2020/05/09
  • 大分トリニータ

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの光と影の歴史を彩った個性豊かな選手たちのインタビュー企画。第6回は、残留争いを強いられた2004年のシーズン途中に加入した吉村光示。引退後は16年からトップチームのヘッドコーチとして現チームの礎を築き、今季からU-18監督としてプロの厳しさ、心得を伝える。

 

残留請負人として6チーム渡り歩く

 

Q:現役時代に在籍した大分の2シーズンを振り返ってください。

 2004年はシーズン途中から入ったので、チームになじむのに時間がかかるかと思っていましたが、みんな快く迎えてくれてすんなり溶け込めました。昔から大分には、そんな雰囲気があるのだと思います。05年は序盤戦から苦しい展開で、結果が出ずに大変でした。2シーズンとも降格争いでしたが、僕はその前に所属していた神戸で何度か経験していました。降格しないチームはまとまっている。それを大分にいたときは伝えました。残留するために絶対に勝たなければいけない試合だと感じたときは、その試合に向けて盛り上げたり、話をしたりしたのを覚えています。

 

Q:大分を含め6チームを渡り歩きましたが、大分の印象は?

 思い出深いチームの一つです。今も三木(隆司)や木島(良輔)らと連絡は取っているし、会えば昔のくだらない話で盛り上がります。当時は個性的な選手が多くて、グラウンドではケンカすることもあったけど、オンとオフのメリハリがありました。

 印象的だったのはシャムスカ監督。降格争いの渦中にいるチームを劇的に変えました。サッカーがすごいというより、人をヤル気にさせることに関しては長けていた。サブのメンバーに対してもケアしてくれました。僕が印象に残っている指示があって、試合に出られない期間が長くて、久しぶりに交代でピッチに入るときに「久しぶりの出場だから勝利給を稼いでこい」という一言だけ声を掛けてくれた。その言葉がうれしかった。自分のことを見てくれていたんだと思えました。

 

Q:現役を引退してから、大分に再び戻ってきた経緯は?

 引退してから神戸でスカウトをしていて、(現GMの西山)哲平さんも当時スカウトをしていたので、いろいろなグラウンドで会っていました。そのときに「いつか現場に戻りたい」というような話をしました。15年に大分がJ3に降格したときに、神戸の選手をレンタル移籍する話を持ちかけて、折り返しの電話が鳴ったときに「今日はその話じゃないんだよね」と言われて、自分にコーチのオファーが来て、選手のレンタルも決まりました。まさか大分に戻るとは思っていなかったけど、うれしかったです。

 

大分では2年プレーした吉村光示

 

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