県スポーツ少年団駅伝交流大会 男子 豊後高田陸上クラブが連覇達成 【大分県】
陸上競技
TURNING POINT 〜つきぬけた瞬間〜 #04 「箱根駅伝で5連覇、6連覇を達成する」(竹石尚人・青山学院大学)
今年の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で往路5区(20.8km)を走った青山学院大学2年の竹石尚人(鶴崎工業高校出身)が凱旋-。1年生を加え、新チームとなって初めての強化合宿が県内で行われ、「地元で新たなスタートを切ることができた。いい練習ができた」と充実感を口にした。主力としての自覚が芽生えた“新・山の神”が、大きく羽ばたこうとしている。
小学3年から野球をしていた少年が、最初の大きなターニングポイントを迎えたのは中学2年の時。県中学校駅伝競走大会に参加するために陸上部だけでは人数が足りず、長距離走の得意だった竹石に白羽の矢が立った。「初めは助っ人のような感じだったが、次の年も駅伝に駆り出された。嫌ではなかったし、走るたびに記録が更新することが楽しかった」。中学を卒業する頃には「高校で駅伝をしたい」と思うようになり、鶴崎工業に進学する。
同校OBでかつて全国高校駅伝競走大会(都大路)を走ったことのある秦裕二監督は、「実績はなかったが一目見てモノが違うと分かった。1年生の時から主力として走らせた」と当時を振り返る。竹石は乾いたスポンジが水を吸収するかのごとく、秦監督の教えを素直に聞いた。フォームを正し、記録を伸ばし続けた。全国規模の大会や国体では3000mや5000mに出場し、スピードをつけた。2年生の時の北九州高校陸上に、青山学院大学の原晋監督が見学に来ていたことが第2のターニングポイントとなった。原監督は秦監督に「軽(自動車)に大きなエンジンを乗せているような選手。伸びしろを残したままウチに来てほしい」と話したという。3年生の時はキャプテンとして鶴崎工業13年ぶり32回目となる都大路に出場。県予選では敗れたが、九州大会で4位となり全国切符を手にした。
箱根駅伝に出場した竹石尚人、大分合宿のため帰郷した
決して無理をさせない秦監督の指導方針もあり、竹石は3年間けがすることなく、「最初に声を掛けてくれた」原監督の待つ青山学院大学に入学する。全国的には無名だったが、「青学は憧れの存在でレベルが高かったけど不安は全くなかった」。秦監督からは「お前には伸びしろを十分過ぎるほど残している。最高の環境で成長してこい」と送り出された。しかし、気持ちが入り過ぎたのか無理をして、入学して間もなく大きなけがをする。半年間ほど練習できない時期を過ごした。普通の選手であれば、落ち込んだり、腐ったりするものだが竹石が違った。「俺は大学生活を楽しむことに気持ちを切り替えた」とキャンパスライフを満喫した。
走ることはできなかったが、もちろん駅伝部の練習には顔を出し、原監督や先輩から声を掛けてもらったことがうれしかった。「経験豊富な人たちが俺の力を認めて支えてくれた。駅伝を辞めようと思ったことは一度もないし、ポジティブにリハビリができた」
2年生になり競技に完全復帰。大分で昨年行われた強化合宿で復活をアピール。強い選手と高いレベルで競うことでメキメキと実力をつけ、頭角を現す。「ようやく自分が目指していたステージに立てた。ここで結果を出さなきゃと気合いが入っていた」。出雲全日本大学選抜駅伝競走のメンバーに入り、「山の適性があると感じた。けがで走れない時期を経験して精神的にも成長した」(原監督)と憧れの箱根駅伝では往路山上り5区に抜擢された。
箱根の舞台を走った竹石は、緊張もあっただろう。これまで経験したことのない歓声に包まれ、ハイペースで走った影響もあり、後半は足がけいれんし何度か立ち止まった。それでも諦めずに1時間12分49秒の区間5位で走り切り、青山学院大学の4連覇に貢献した。「あれは最低限の走り。この1年間しっかり練習できれば、あれ以上に走りはできる」と自信を示した。
箱根駅伝後はコンディションを落とし、走れない時期もあったが、故郷の強化合宿では元気な姿を見せた。「ここが俺の陸上人生の原点。ここから新しいチームのスタートが切れることは幸せ。これまでは下級生という感じだったが、これからはチームの主軸として過ごしたい。ここまでは出来すぎた部分はあるが俺には箱根をあと2回走るチャンスがあるので、5連覇、6連覇を達成するのが目標」と貪欲な姿勢を強調した。
チームの主軸として引っ張ると決意表明した
(柚野真也)