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監督の哲学⑤ 「選手が使命感を持つ雰囲気をつくりたい」大分高校女子ハンドボール部・滝元泰昭監督

監督の哲学⑤ 「選手が使命感を持つ雰囲気をつくりたい」大分高校女子ハンドボール部・滝元泰昭監督

 自身の現役時代から指導者に至るまでの過去を振り返り、現在の指導法や今後のビジョンについて語る監督インタビュー企画。第5回は大分高校女子ハンドボール部の滝元泰昭監督。選手としての実績もさることながら、指導者として中学、高校と異なるカテゴリーで、男女ともに日本一という偉業を達成した。2013 年度の「第8回春の全国中学生ハンドボール選手権大会」では大分中学男子部を優勝に導き、16年度の「JOCジュニアオリンピックカップ」では県選抜男子の監督として、17年度には「第41回全国高校選抜大会」で大分高校女子部を率いて日本一となった。冷静に俯瞰(ふかん)する眼を持ち、理想を追求しながら現実と調和するバランサーの指導理論は、どのような過程を経て構築されていったのか。

 

少年時代の成功体験が大きな財産になった

 

 兵庫県生まれの滝元は、幼稚園入園時に父親の転勤で大分に引っ越してきた。小学4年になると、近所の上級生に誘われてハンドボールチームに入部。2学年上には宮崎大輔がいて、周りのレベルも高かった。練習は当然厳しかったが、「長距離走だけは自信があった」滝元はスタミナと運動量を駆使して上達し、小学6年の時に日本一になる。「この経験が大きかった」と述懐するように、少年時代の成功体験がその後に人生に大きく影響する。

 

 中学でも当然ハンドボール部に入ったが、指導者はいなかった。土日は外部コーチの指導を受けたが、多感な時期に管理されない組織が勝ち上がるほどスポーツは甘くない。優れた才能が集まっていても全国大会にさえ届かなかった。高校は進学校に進もうと考えていたが冨松秋實監督(現・大分高校男子監督)に誘われ、大分国際情報高校でもう一度日本一を目指した。入部当初に「覚悟を決めた」。鬼の監督に、鬼の練習。練習が深夜におよぶこともあった。「あの3年間があったから、多少無理なことが起きても当たり前と思える」と強い精神力が身についた。もちろん、練習時間と成長曲線も比例し、高校2年の全国高校選抜で優勝し、3年時は全国高校総合体育大会(インターハイ)で準優勝した。大学は大阪体育大学に進み、日本一には届かなかったが高い水準で競技を続け、指導者を志した。

 

 選手としての経歴は申し分ないが、「自分はエリートの意識はない」とキッパリ言う。「エースではなかったし、どうやったら試合に出られるかばかり考えていた」。この選手時代の経験が探究心の源になったが、指導者としてすぐに大成したわけではない。同年代の指導者は卒業後にハンドボールを指導する環境を得たが、滝元が臨時講師などを過ごした5年間は赴任した学校にハンドボール部がなく、「なんで自分だけ」と競技に関われない生活にいらだちを覚えることもあった。だからなのか、日本一になっても浮き足立つこともなく、地に足をつけた考えを促進した部分があると滝元は強調する。

 

「自分はエリートの意識はない」と語る滝元泰昭監督

 

勝負に甘さは禁物、規律は必要

 

 ようやくチャンスを手にしたのが28歳の時。大分中学・大分高校がハンドボール部の創部とともに強化を掲げ、声が掛かる。滝元は中学男子部の監督を任された。「生徒もその親も覚悟があった。1期生から関われたことが大きかった」と新しい歴史をつくることにやり甲斐を感じた。生徒と初めて対峙したとき、「日本一を経験している感覚でプレーのことや気概を話しても通用しない」ことを知る。もどかしさを感じたが、「継続して言い続けること、やり続けること」を教えられた。それでも育成年代の中学部の指導は楽しかった。「あくまでも高校やその先につなげる役割。ギリギリ勝負しなければいけないときでも、とりあえずチャレンジしろと言えた」

 

 一方、高校年代では結果が求められる。なぜなら、「高校3年間で競技を辞める生徒がいるし、結果が将来につながる生徒もいる」。勝ちから得ることは大きいからだ。そのためには譲れない指導理念がある。「筋が通ってないことは許さない」。理由もなく練習を休むことや規律を守れない生徒は、どんなに実力があっても試合には使わない。頭が固い、完璧主義者だと思われるがそうではない。滝元はチームに「自由」というある種のだらしなさを見て取り、「抜け」をつくるまいと考えているのだ。チームとしての約束事は、全員がそろって遂行することで成果となって表れる。ハードワークを基盤とする守備が誰か一人でもサボると、そこに穴ができるように。選手として、監督としても日本一になった滝元は、「抜け」の少なさが試合を勝ち抜く武器になることを知っているのだ。勝負に対して甘さやそつがない。

 

 滝元に強いチームの条件を問うと、「もう少し先にならないと分からない」と返ってきたが、ヒントは無形の財産ということなのか。「入部してきた生徒がチームの雰囲気というか空気を感じて、やらなければいけないという使命感を持つかどうかが大事だと思う」。全国大会の出場が当然となり、日本一を宿命づけられたチームになるにはあと少し時間がかかりそうだが、昨秋の県高校新人大会で負けた時、ある生徒が担任に「ヤバイ、負けてしまった。私たちの代で負けた」と話すのを聞いた時、伝統校、強豪校に近づきつつあると感じた。

 

 自分自身の成長も止めるつもりはない。「まだまだ自分に足りないことは多い。新しいことを取り入れ、いろんな指導者の話を聞きたい。学ぶことをやめたら視野が狭くなる。指導者は指導することを教えてもらったことがない。だから学ぶしかない」。探求心と選手、監督で日本一になった経験で培われた指導論は確かなものになっている。育成年代の日本代表監督がそれを発揮する機会かもしれない。

 

 

プロフィール

 

滝元泰昭

1983年4月26日生まれ、AB型、明野中学→大分国際情報高校→大阪体育大学

指導者として譲れないものは?

筋が通ってないこと、規律

勝てるチームの条件とは?

選手が自主的に使命感を持ったチーム

高校生の自分にアドバイスするなら。

もっと我を出していい。どうしても客観的に見てしまい、バランスを取っていたので

自己分析バロメーター

攻 撃 的○○●○○守 備 的

個 人  ○○○●○組 織

スペクタクル○○●○○リアリズム

理 論 派○●○○○感 覚 派

 

 

(柚野真也)