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TURNING POINT 〜つきぬけた瞬間〜 #05 「忘れ物を取り戻しにいく」(相原昇、U-20・U-23バレーボール全日本女子監督)

TURNING POINT 〜つきぬけた瞬間〜 #05 「忘れ物を取り戻しにいく」(相原昇、U-20・U-23バレーボール全日本女子監督)

 今日までのバレーボール人生をひと言で表現するなら―。その質問に対し、相原昇はひと呼吸置いて「自分史上最高を目指す戦い」と答えた。選手時代は全日本大学選手権で優勝し、指導者になってからは幾度の日本一を経験した。多くの成功体験を経て、世代代表の日本代表監督として世界の頂点を目指す。

  

 若い世代のバレーボール全日本女子監督に東九州龍谷高校(東龍)の相原昇が就任したのは今月中旬。高校の部活動を指導する監督の抜てきは、日本バレーボール協会の期待の表れでもある。協会は東京オリンピック以降の高校年代から20代前半までの若手強化を最重要事項と捉え、継続的な強化が必要と本腰を入れた。白羽の矢が立ったのは、東龍女子バレーボール部を日本一に12回導いた相原だった。実績に申し分ない平成の名将はU-20・U-23の日本代表監督に就任し、「世界一を本気で狙う。東龍で培った高速バレーで世界に挑戦したい」と強い思いを口にした。

 

 中学からバレーボールを始めた相原は、東洋高校(東京都)から日本体育大学に進学し、セッターとして活躍。中学では全日本選抜メンバーに選ばれ、大学4年時は全日本大学男女選手権で日本一に輝いた。卒業後は香川県立高松北高で9年間監督を務め、東龍の監督に就任―というのが公式の経歴だが、実は指導歴は大学時代までさかのぼる。中学2年から越境入学するために一人暮らしを始め、母子家庭で迷惑を掛けたという思いもあり、大学時代はバイトとしてママさんバレーのコーチをする。最初は5、6人を教えていたが、すぐに「相原の指導を受けると上達する」という噂が広がる。「一人一人性格も違えば、技術力も違う。それぞれに合った指導と本人のやる気があれば伸びる」。この頃から個の能力を伸ばす指導に長けていたというわけだ。あっという間に門下生が50人になり、一番多かったときは100人を越えていたという。「50代、60代の方が来てうまくなりたいと言うから、こっちも真剣になって教える。どんな人でも教え方ひとつで上達スピードが変わる。面白かった。自分は指導者に向いているんだと自覚しました」と笑う。この頃から「監督業は天職」と思えるようになった。

 

「東龍バレーで世界一を狙う」と語る相原昇氏

 

 最初のターニングポイントとなったのが東龍の監督に就任した2005年。常勝チームの礎を築いた大木正彦監督の後継者となった。「プレッシャーはあったが、当時から勝つことだけしか考えていなかった」と本人が語るように、1点を取るための労力を惜しまない。他の監督が突き詰めないところまで追求し、勝利につなげる。それが相原のやり方だ。

 相原のバレーに対する熱い思いは際立っている。 体育館の一室にある監督部屋には、ローテーション毎のフォーメーションやデータなどが書かれた模造紙が壁一面に張られている。「どうすれば勝てるのか常に考えている。ローテーション、メンバーチェンジなど全てのシチュエーションを考え、相手チームを研究して、万全の状態で試合に臨めるようにしている」

 相原をよく知る者は口をそろえる。「1日24時間バレーボールのことを考えている。あれは病気だ」と。相原自身も自らのことを「バレー中毒」と言うのだから、間違いない。

 

 高校での実績が評価され18歳以下の日本代表監督として初めてオファーがあったのは2007年。「代表チームは寄せ集めのチームだけど、個人の力はある。チームとしてやることを明確にし、気持ちよくプレーさせれば乗ってくる」。戦略家でありモチベーターでもある相原は、選手の力を引き出す言葉を掛け続け、アジアユース選手権大会で優勝し、世界ユース選手権大会で7位に入賞した。翌08年はアジアジュニア選手権で優勝し、いよいよ世界を視野に入れた時、2度目のターニングポイントが訪れる。アジアジュニアを制し、帰国3日後の国体。地元開催の期待を一心に背負い、負けは許されなかった決勝でまさかの逆転負け。「代表に力を入れ過ぎ、足元を取られた」、「日本一になれない監督が世界では戦えない」など心無いバッシングを受け、代表監督辞退を余儀なくされた。「あの時の悔しさは忘れられない。もう一度、強い東龍を見せつけたい」と生来の負けず嫌いに火がついた。その頃から「自分の最高新記録を出し続ける」ことを目標とし、結果を出し続けた。08年から春の高校バレー5連覇を成し遂げ、09年には高校総体、国体を含む高校三冠に輝いた。

 

 限界をつくらず、バレーボールに情熱を注いできた相原だが、心の奥には「世界一」の目標を封印してきた。「東龍を率いている以上は中途半端なことはしたくなかった。目の前の大会、試合に勝つことだけを集中してきた」のは本心だ。だが、若い年代の全日本女子監督のオファーを受け、「忘れ物を取り戻したい。12年間の思いを大爆発させたい」との思いが日に日に強くなり、引き受けることになった。

 

 相原に託されたタスクは、東京オリンピックでの躍進につながる若手の輩出と、2024パリオリンピック・2028ロサンゼルスオリンピックに向けての育成という2本柱となる。「戦術、テクニック、連動性に長けた日本人特有のバレーをするためには高速バレーだと思っている。本気で世界一を目指している。2番、3番なんてない」。すでに強化プランが整理されているが、根底にあるのは変わらない。勝って喜ぶ選手の顔が見たい。勝つ中で選手を育てたいという気持ちだ。日本一を何度も手にした名将が世界に挑む。

 

常に全力で目の前の試合に挑んだ

(柚野真也)