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大分トリニータ 2試合残して降格、この現実に何を見る

大分トリニータ 2試合残して降格、この現実に何を見る

 最終戦を待たずしてJ2降格が決まった大分トリニータ。主力の流出が相次いだ今季は苦戦の連続だった。守備は失点を重ね、攻撃ではなかなかゴールが奪えなかった。敗戦を重ね、2節を残してJ2降格が決定。力なく敗れた大分の失意の日々を振り返る。

 

序盤の7連敗、復調なく苦戦が続く

 

 他会場で残留を争うライバルたちの試合結果が選手の耳に入ると、鹿島戦で引き分けた選手たちはうなだれた。人目をはばからずに涙する者、膝に手をやりうつむく者、悔しさは同じだ。伊佐耕平は「あの時は何も考えられなかった」と振り返る。試合終了後、アウェーのサポーター席に向かってあいさつする選手たちは力なかった。

 2節を残して勝点は29。得点26はリーグワースト、失点53は同3位タイ。この結果、4年ぶりのJ2降格が決まった。

 

 スタートは悪くなかった。開幕戦は徳島相手に1−1の引き分けに終わったが、続く横浜F Cは敵地で新加入の下田北斗のクロスから先制、追加点を奪い、猛攻を受けながら逃げ切り、今季初勝利を挙げた。

 しかし、勢いは続かなかった。続かなかったというよりも、今となってはここが、片野坂知宏監督が厳しいシーズンとなるからこそ、「集大成」と位置付けた、今季の本当の戦いの始まりだったのかもしれない。J3から指揮して一つ一つ積み上げてきた組織力、攻守で個々の力に頼らない戦術は、安定感を失っていた。強化部トップの西山哲平G Mは、「シーズン前の主力の流出が一人や二人ではなかった。チーム状態が安定しない中で力のある選手が加わったが、持ち味を出しづらかった」と分析する。チームの規律や約束事を遂行すれば個の色を失い、個の色を出そうとすると組織として成り立たない。一つ修正すると、他の箇所が崩れる。5節から7連敗、順位は19位まで落ちた。

 

 このあたりから、守備を仕掛ける位置を敵陣深くに設定し、ボールを奪うタスクを加えた。片野坂監督が「(守備時の)プレスのかけ方はメリハリを付け、迫力がないと奪えない」と伝えると、1人でボールを奪えなければ、2人、3人と連動してボール保持者を囲み、苦し紛れのロングボールを蹴らせてセカンドボールの回収率を高めた。良い守備は良い攻撃を生み出し、パスの出し手と受け手の意思疎通、さらに3人目の動き出しが速くなる。G Kを組み込んだ攻撃の組み立てがスムーズとなり、12節清水戦で連敗を止める。依然として順位は降格圏のままだったが、時期的なこともあってか、チームにはまだまだ余裕があった。

 

J1での3年目のシーズンで降格が決まった

 

スタイルは確立できたが「大胆さ」が足りなかった

 

 好転のきっかけを手探りで求めていたこの時期。しかし、様々な側面から降格のカウントダウンは進んでいた。まず、開幕戦で負傷した野村直輝がけがを繰り返し、攻撃の核として期待されていた下田北斗もけがで約1カ月ピッチに立てなかった。さらに連戦により選手のコンディションが整わず、先発メンバーを固定できない試合が続いた。戦力差を組織力と戦術の浸透度で埋めてきたチームは、目の前の試合をこなすことで手いっぱい。課題とされた攻撃のパターンの確立も困難を極めた。期待された新戦力が軒並み、力を発揮できずに終わったことは不運だったが、毎試合の決定機の数は相変わらず少なく、シュート数は片手で数えられる試合も少なくなかった。

 

 現状を打破しようと、クラブは積極的な補強を敢行する。早い段階で守備の軸となるブラジル人選手を2人獲得し、夏場の移籍期間に呉屋大翔や増山朝陽らを獲得して挽回を試みたが、起爆剤となるまでには至らず、大きく戦況が変わることはなかった。それでも片野坂監督は「結果が出ないと(チーム状況が)悪いと捉われるが、ベストを尽くす準備をしていた。チームの成長を感じたし、少しずつ前進し、盛り返した時期もあった」と振り返ったように、終盤戦はチームとしての戦い方、選手の特徴を含めて整理できた。32節の仙台戦に勝利し、今季初の連勝で残留への希望が高まったが、勝星から見放された。

 

 後がなくなった鹿島戦では、守備時には最終ラインを5バックに、その前に中盤を4枚並べるという、2枚の分厚い壁をゴール前に築いた。攻撃に転じずれ後方からパスをつなぎ、攻撃を組み立て、ゴールに向かった。これまで築いた戦い方ではあったが、善戦はするが勝利を呼び込むまでに至らない。J1に戦いの場を移して3年間、どうやればJ1で通用するのかという部分で壁にぶち当たっては、対戦相手をち密に分析し、戦術面の変化や選手起用を変更して試行錯誤を繰り返した。今季は特に、片野坂監督は「大胆にプレーすること」を求めたが、「自分の要求や選手の力を引き出すアプローチが足りなかった。自分の力不足だった」と肩を落とした。

「チームの約束事を守る意識が強く、リスクを冒してまで危険なエリアに入ったり、パスを入れることを恐れていたのかもしれない。そこは選手の判断の部分だが、安全なプレーを選択することが多かった」(町田也真人)。

 

チームを6年率いた片野坂知宏監督

 

団結力だけではJ1で勝てない事実

 

 今季を戦い抜けば「J1定着」への道が開けるはずだったが、あらがう姿勢は見せたものの、結果として降格となってしまった。その中で今後につながる救いとなるものはあっただろうか。

 厳しい戦いが続いていた終盤の、ある試合の後、キャプテンの高木駿は「大分のベースは『全員が一つになって』というのが本当の強みだと思う。それは出ていたと思う」と言えば、町田も「勝てない試合が続いたが、まとまっていた」と、チームがこれまで育んできた“核”となる部分に触れていた。団結力。それにすがるしかない状況だったと言えばそれまでだが、厳しい状況の中でも、監督を筆頭にコーチングスタッフ、選手たちの結束が失われなかったことは、今後につながるのではないか。ただ、それだけではJ1で勝てなかったのも、また事実。力のなさを痛感したシーズンは、クラブにとっても選手にとっても、多くの試練があったはずだ。

 

「チームは一つになって戦えた」と話す高木駿

 

 

(柚野真也)