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ジェイリースFC 永芳卓磨GM サッカー界に戻った理由を問う 決断と責任の8年 【大分県】

ジェイリースFC 永芳卓磨GM サッカー界に戻った理由を問う 決断と責任の8年 【大分県】

 地方リーグの一角に過ぎなかったクラブが、8年の歳月をかけてJFLへたどり着いた。ジェイリースFCの歩みは、単なる成績の積み上げではない。グラウンドも人も、理念さえ定まらないゼロの地点から、少しずつ輪郭を描いてきた時間の集積だ。創設当初、選手と監督を兼ねながら現場に立ち続けた永芳卓磨は、勝敗だけでなく、練習の質、組織の形、クラブの在り方そのものに向き合ってきた。その背中は、クラブが何を大切にし、どこへ向かおうとしているのかを示す指標だった。永芳は単なる当事者ではない。迷い、試し、修正を重ねながら前進してきたこの8年間を、体現し続けてきた存在である。

 永芳は現役時代に大分トリニータなどでプレーし、栃木SCでプロ生活に区切りをつけた。勝負の世界で生き抜いた日々は、充実と同時に葛藤の連続でもあった。引退後、一度はサッカーから距離を置き、第二の故郷となった大分で働きながら、自分は何者で、これから何をして生きていくのか。半生を振り返る時間が始まった。

選手との対話を大事にする永芳GM


 そんな折にかけられたのが、「新しくチームをつくるから見てほしい」という一言だった。選手も監督も、組織の形すら定まっていない。まさにゼロからのスタートだった。不安は大きかったが、これまで歩んできた道と向き合う中で浮かび上がったのは、「大分のためにできること」「自分の中に確かに残っているサッカー」、そして「必要とされている」という実感だった。永芳は監督兼任選手として新たなスタートを切った。

 ジェイリースFCで迎えた1年目は、想像以上に過酷だった。週3回、仕事を終えた後に夜の練習に集まる。選手それぞれの生活リズムはばらばらで、練習環境も決して整っていたとは言えない。大分県リーグ(3部)という舞台で、勝敗以前に「チームとして成り立たせること」そのものが課題だった。戦力も環境も十分ではない中、それでも妥協せず、基盤づくりに徹した日々が続いた。その積み重ねが、後にクラブを押し上げる土台となっていく。

 クラブは少しずつ階段を上り、毎年カテゴリーを上げながら、4年目には九州リーグへ到達した。永芳は当時をこう振り返る。「九州リーグまでは3年で上がれるというイメージはあったし、厳しいながらも必ず到達できると思っていた」。一方で、その先に待つ現実も冷静に見据えていた。「ただ、九州リーグからJFLへの昇格は非常に高い壁だと感じていた」

「地域に根を張った活動を続ける」と語った

 その壁を強く意識させられたのが、創部7年目となる2024年のシーズンだった。監督退任・現役引退し、ゼネラルマネージャー(GM)としてクラブに関わることになったのだが、あと一歩で届かなかった昇格。その悔しさを抱えたまま迎えた昨季は、クラブにとって大きな転換点となる。九州リーグ優勝、国スポ準優勝、そして、全国地域サッカーチャンピオンズリーグを勝ち抜き、JFLへの昇格をつかみ取った。結果だけを見れば順風満帆に映るが、永芳は言う。「一番厳しいシーズンだった」。周囲からの期待は一気に高まり、「今度こそ昇格して当然」という空気が生まれた。その重圧と責任を背負いながら、永芳を中心にクラブは練習、準備、判断の基準を見直し、変わることから逃げなかった。

 JFL昇格が決まった瞬間、選手たちは歓喜の涙を流した。一方で永芳の胸に広がったのは、達成感よりも安堵(あんど)に近い感情だった。「ほっとした」。その一言に、背負ってきた重みが凝縮されている。喜びに浸る間もなく、思考はすでに次のステージへ向かっていた。

 大分トリニータ、ヴェルスパ大分と並び立つ存在として、ジェイリースFCが目指すのは勝利や昇格だけではない。「なくてはならない存在」になること。地域に根を張り、必要とされる場所へ手を差し伸べる。痒いところに手が届くクラブであり続けることだ。

 JFL初シーズンは着手すべき課題が山積している。それでも、永芳にはゼロから積み上げてきた経験がある。遠回りを恐れず歩んできたからこそ、進むべき道は見えている。ジェイリースFCとともに、確かな足取りで次の一歩を踏み出そうとしている。

(七蔵司)

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