全国高校駅伝 男子 大分東明が迫った一瞬の入賞圏と現実差 【大分県】
陸上競技
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第76回全国高校駅伝(都大路)の男子。大分東明は高速レースの渦にのみ込まれながらも、26位で都大路を走り切った。その中で一瞬、チームの順位を押し上げた区間がある。2区3キロ。18位でタスキを受けた平野遥斗(3年)が、前を行く選手を次々と捉え、4人を抜いて最大14位まで順位を上げた。
この区間は「スピード区間」と呼ばれる。最初から速い流れに乗り、一定のスピードを保つことが求められ、わずかな失速が順位の崩れに直結する。奥村隆太監督は県予選が終わった時点で、平野を2区候補に定めていた。「平野はスピードのある選手だった」。だから全体練習に加えるのではなく、平野だけは別メニューで質を磨いた。本数や距離は抑える代わりに、スピードを上げた練習を積む。全国の流れに対応するための、明確な設計だった。

当日の平野は、その想定の中を走った。沿道にはOB、保護者、県人会。声が途切れない。「きついというより、楽しいが大きかった」。3キロが「一瞬に感じた」という言葉は、勢いだけではない。緊張で固まるのではなく、自分のリズムを最後まで崩さない感覚があった。「いつも通りを出せ」と言われ続け、実力通りに走れた手応えが、表情を前に向けさせた。
その走りを見守った父・勇太さんも、かつて大分東明のユニフォームで都大路を走った。1年時に同校が初めて出場し、2年時に5区を走ったが、3年時は県予選で敗れた。その記憶を抱えた父が、今度は沿道で息子を迎えた。「区間は違ったが、私が走った都大路を息子が走る。感慨深い」。父は誇らしさをにじませた。
レース直後、平野が父に電話を入れると、勇太さんは泣いて喜んだという。高校3年間、思うような結果が出ず、もがき続けた時間があった。努力が報われない焦りや、心ない誹謗(ひぼう)中傷の言葉に傷ついた夜も、一度や二度ではない。それでも平野は走ることをやめなかった。そして最後の都大路で笑顔で駆け抜けた。

勇太さんが沿道で意識していたのは、𠮟咤(しった)ではなく肯定だった。「厳しい言葉はかけない。楽しめ、すげえよ」。息子の背中を押す言葉だけを選び、声に乗せた。目が合い、200メートルほど並ぶように走ったその瞬間、胸に込み上げるものがあった。自分を完全に超え、重圧を受け止め、チームのために順位を押し上げる走者が、確かにそこにいた。
入賞争いには届かず、大分東明は26位という結果だった。だが、親子二代で走った京都の道は、確かに受け継がれた。平野は「次につながる一歩」と言い、父は「同じ京都を、同じユニフォームで走れた」とかみしめた。3キロの一瞬に刻まれたのは、順位以上に走りで証明した成長の証だった。
(柚野真也)
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