
サッカーU―17日本代表 代表の誇りを胸に、平野稜太が世界へ挑む 【大分県】
サッカー
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20日の京都戦。1−1で迎えた81分、左サイドでボールを受けたシキーニョは褐色の弾丸と化した。味方とのワンツーからスピードに乗ったドリブルで猛然とゴールラインをえぐり、GKとDFのわずかなスペースに速く低いパスを通し、伊佐耕平の逆転ゴールを演出した。試合は終了間際に同点に追いつかれ引き分けに終わったが、シキーニョの活躍は光った。
「ボールを持った瞬間、前しか見えなかった」とシキーニョ。相手に疲労があったとはいえ、一人別次元にいるかのような高速ドリブルで抜き去り、針の穴を通すようなパスでアシスト。ブラジル人アタッカーの持ち味を凝縮したスーパープレーだった。
6月に期限付きで新加入したシキーニョは、日本のサッカーとチームのスタイルに順応してきた。ブラジル特有のテクニックと抜群の攻撃力は魅力だが、ボールを持っていないときや守備では試合から“消える”時間帯もあった。チームの危機を救う反面、規律を乱して仲間を慌てさせることもあったが、今では少なくなった。片野坂知宏監督は「チームの決まり事を守ろうとする姿勢は評価している」と成長を認める。
陽気なブラジル人はお茶目でイタズラ好き。練習の合間に選手にちょっかいを出し、話すきっかけをつくり、コミュニケーションを図っている。だからなのか、練習後に日本人選手から歩み寄り、シキーニョと会話する姿がよく見られる。「こんなプレーをしてほしい」、「あのタイミングでパスを出してほしい」と要求されているようだが、これは仲間として認められた証拠である。シキーニョ自身、仲間の意見を受け入れ試合に生かしているという。「結果を出すのはFW。彼らが点を取れるように自分がパスを合わせられればいい」。
ブラジルでプレーしていた頃は、試合中にフラストレーションが溜まればロッカーに八つ当たりし蹴飛ばしていたこともあったようだが、郷に入れば郷に従えと日本の文化を取り入れているという。チームに合流した当初はアフロのような髪型だったが、不甲斐ないプレーが続き頭を丸めたようだ。シキーニョがチームメイトに受け入れられる理由はこんなところにある。
■プロフィール■
1989年7月27日生まれ、170cm、70kg。アトレチコ ミネイロ(ブラジル)→イパチンカ FC(ブラジル)→SCコリンチャンス(ブラジル)→ポンチ プレッタ(ブラジル)→フルミネンセFC(ブラジル)→サントスFC(ブラジル)→フラメンコ(ブラジル)→湘南ベルマーレ→コインブラMG(ブラジル)。正確な左足のキックとスピードを武器に多くのチャンスを生み出すサイドアタッカー。最近はシャドーやSBでプレーすることもあり、プレーの幅が広がっている。
(柚野真也)
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