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【指導者の肖像〜高校スポーツを支える魂〜】 明豊を変えた情熱と信頼の力 明豊高校バスケットボール部監督・杉山真裕実(後編) 【大分県】

【指導者の肖像〜高校スポーツを支える魂〜】 明豊を変えた情熱と信頼の力 明豊高校バスケットボール部監督・杉山真裕実(後編) 【大分県】

 明豊高校女子バスケットボール部を率い、3年連続でウインターカップに導いた杉山真裕実監督。情熱と冷静さ、厳しさと温かさ。その両面を持ちながら、杉山の指導は常に「人」を中心に置かれている。役割を与え、生活を整え、最後の瞬間まで選手を信じ切る。数々の逆境を乗り越えてきた指揮官が語る、いま辿り着いた“指導者としての現在地”とは何か。

孤独から始まった“改革”の一歩

 杉山が明豊高校に赴任したのは、2010年の春だった。体育館に足を踏み入れた瞬間、彼女はその場の空気の温度を敏感に感じ取ったという。誰もが歓迎し、拍手で迎えてくれるような華やかなものではなかった。むしろ、控えめな視線と、探るような空気が漂っていた。前任の監督が集めた選手が大半で、杉山と同時に入ってきたのはたった一人。その孤独感は、初日から杉山の胸に深く刻まれることになる。

 当時、部員はわずか7〜8人。練習中の雰囲気はどこかぎこちなく、選手同士の距離も縮まっていない。上下関係にも不自然な緊張があった。さらに、試合後はわずか5分で会場を後にするという慣習があった。保護者と言葉を交わす時間もない。選手たちは疲労を残したまま寮へ戻り、翌日の準備だけを淡々とこなす日々。杉山は思った。「なんでこんなに急ぐ必要があるのだろう」「ストレッチは?ケアは?もっと大事なものがあるはずだ」と。

 最初の改革は、極めて小さなものだった。試合後に時間をつくり、ストレッチをして帰る。当たり前と思える作業が、明豊では新しい習慣だった。反発は少なくなかったが、その変化を歓迎してくれた人がいた。3年生の選手の祖母である。「孫とも話せるようになった。あんたが来てくれて良かったよ」。その一言が、杉山を前へと押し進めた。彼女が後に語った「もしあのおばあちゃんがいなかったら、心が折れていたかもしれない」という言葉は、当時の孤独を如実に示している。

 旧来のやり方との衝突は続いた。「なんで全員同じバッシュじゃないの?」、「スリーブなんて必要ない」、「統一感がない」。OG の保護者からは、容赦ない批判が寄せられた。しかし杉山は引かない。現役時代に何度もケガで苦しんだ経験が、彼女の基準を明確にしていたからだ。「足に合うバッシュが一番。必要なサポーターをして何が悪いのか」。選手にとって良いと思うものを、真正面から貫き通した。

“役割”が選手を救う。ユニチカで学んだ哲学

 杉山には、赴任当初から明確な指導論があったわけではない。だが一つだけ、強く心に決めていたことがある。「子どもたちにバスケットを嫌いになってほしくない」という思いだ。その原点は、ユニチカ時代に出会った恩師の指導だった。

 恩師は、どんな選手にも必ず役割を与えた。技術が足りなくても、体が小さくても、自信がなくても、チームに必要な存在として扱ってくれる温かさがあった。杉山自身もディフェンスを任され、その役割があったからこそ試合に出る道が開けたという。「役割があると、人は前に進める」。その実感が、いまの指導法に色濃く受け継がれている。

 ジャンプ力がある選手には「リバウンドに飛び込め」。足の速い選手には「誰よりも先に戻れ」。小柄な選手には「ボール運びと粘りのディフェンスをやりきれ」。与える役割は大きくなくてもかまわない。むしろ小さな役割であっても、それは選手にとって確かな居場所になる。5人でボールを運び、最後に誰がシュートを決めるかだけの違いで、全員の仕事は同じ勝利へ向かう道のりの一部なのだ。だからこそ杉山は、「誰もがフィニッシュを支える一員である」ということを、選手たちに理解させることが最初の指導論となった。

 しかし、指導者として最初の壁は別のところにあった。審判との関係である。杉山はフェアネスに対して強い信念を持っている。曖昧な判定があれば強く主張する。その姿勢が、テクニカルファウルとして跳ね返ってきた。「選手を見てもらいたいのに、私ばかりが見られている」。その悔しさは、今でも鮮明に覚えているという。

 それでも、チームは少しずつ前へ動き始めた。部員が少数という厳しい状況からの出発だったが、杉山の思いに賛同する保護者が増え、選手たちも懸命に努力を重ねていった。さらに、初めて県外から入部した選手の加入がチームの空気を一気に明るくし、全体の士気がぐっと上がった。そうした小さな積み重ねが大きな力となり、赴任から5年目。明豊はついに全国高校選手権大会(ウインターカップ)への切符をつかんだのである。

 ウインターカップ初出場を射止めた県予選、杉山は想像できるあらゆるシチュエーションを前もってやってみることに徹した。決勝の時間帯に合わせて起床し、食事をとり、同じリズムでアップをする。相手のユニフォームカラーのビブスを購入し、体育館に相手ベンチの位置まで再現する。お弁当をどこで食べるかまでリハーサルした。その姿は執念に近い。

コートの中に生活あり、コートの外に勝負あり

 杉山がチームづくりで最も重視するもの。それは「人間関係」である。女子チーム特有の空気を読む力が監督には求められる。顔色の違い、目の動き、声のトーン。選手同士の関係はもちろん、寮での生活リズムや食事の様子まで、日々観察し続けた。

 「生活が乱れれば、プレーも必ず揺らぐ」。杉山はその事実を痛いほど理解している。その確信を強くしたのは、明豊が初めて全国高校総体(インターハイ)に出場した代の出来事だ。そのチームには才能が十分にそろっていた。走力、技術、サイズ、どれを取っても県内トップクラス。練習では誰もが目を見張るプレーを見せた。しかし、本番になると力を出し切れない。理由は明確だった。寮を抜け出す者がいたり、食事を粗末に扱う者がいたり、わずかな不満がすぐ態度に表れるなど、生活面が不安定だったからだ。日々の積み重ねが甘く、苦しい時間帯になると集中が切れ、チームとして踏ん張れる土台ができていなかった。

 杉山は思った。「勝てる力はあるのに、人としての基盤が整っていない」。その経験が、彼女を“選手の24時間を見る指導者”へと変えたのである。「コートの中に生活あり、コートの外に勝負あり」。この言葉は、単なる標語ではなく、彼女が実際に敗北の中から掴み取った揺るぎない指導哲学となっていった。

 女性監督であることの強みは、選手の感情の変化を細かく感じ取れる点にある。食事が進んでいない、目に力がない、仲間との間に微妙な距離が生まれている。そうした小さな違和感を杉山は見逃さない。その一方で弱点もある。自分が期待している選手ほど、つい言葉が強くなってしまうのだ。𠮟咤(しった)のつもりで厳しい言葉をかけても、後で試合映像を見返して「あそこまで言う必要はなかった」と反省することもあるという。感情が前に出やすい分、指導者として言葉を選ぶ難しさも常に抱えている。

 杉山は戦術に精通した指導者でありながら、自分の本質は感覚派だと言う。ただし、それは行き当たりばったりという意味ではない。相手チームの分析力は非常に高く、わずか数分で選手の動きの癖や攻め方の傾向をつかみ取る。そこから瞬時に最適な策を選び出す判断力は、監督としての大きな武器だ。試合中の最終判断は理論よりも直感に近い。「今はこれをやるべきだ」という感覚が研ぎ澄まされており、その一瞬の選択が幾度もチームを勝利へ導いてきたのである。

 杉山の指導は、技術以上にメンタルを重視している。「うまくいかなくなると下を向く子が多い。それが一番ダメ」。選手の背中を押し、勇気を与え、自信を取り戻させる声は、熱量に満ちている。

 そして、彼女は選手を見離さない。どれだけミスを重ねても、最後の最後までチャンスを与える。それは自らが選手時代、チャンスを得られずに悔しい思いをした経験からだ。「チャンスは絶対に渡す。それが私のやり方」。その姿勢が、選手たちの信頼を育んでいく。

杉山真裕実の指導3箇条
役割は“選手の居場所”である
どんな選手にも役割を与え、チームの中で自分の価値を実感させる。
「役割があれば、人は前へ進める」というユニチカ時代の学びを信じ続ける。
生活はプレーを映す鏡である
寮での姿勢、食事の態度、仲間との接し方。すべてがコートに表れる。
「コートの中に生活あり、コートの外に勝負あり」。
人間として整えることが、勝利への最短距離だと考える。
最後の一瞬まで、選手を信じ切る
ミスをしても、どんな選手にもチャンスを与え続ける。
「選手が私を信じたとき、チームは勝つ」。
信頼こそが勝負を決めると確信している。

勝利の源泉は“人と人”

 監督業は楽しいかと問えば、杉山は迷わず答える。「苦しいです。でも、選手がバスケットを続けてくれれば、それでいい」。

 勝利の喜びも、敗北の責任も、日々の感情の揺れも、すべては指導者の肩にのしかかる。それでも前に進めるのは、目の前でボールを追う選手たちの存在があるからだ。「あの子たちが続けてくれるなら、自分が苦しいなんて言っていられない」。その言葉には、揺るぎない覚悟がにじむ。

 今後について聞かれると、少し照れくさそうに笑う。「もっと冷静な監督になりたい」。でも、情熱が自身を支えていることも分かっている。冷静でありたいと願いながら、情熱を削ぎたくはない。矛盾した二つの感情を抱えつつ、それでも前に歩き続ける。それは「情熱だけでは勝てない」ことも、「情熱がなければ人は動かない」ことも、身をもって知っているからだ。

 勝つための理論は何かと問えば、迷わずこう言う。「私が選手を信じ、選手が私を信じてくれたとき、チームは勝つ」。結局のところ、勝負を決めるのは人と人の絆だというのだ。

 戦術は時代とともに変わる。技術も年々進化する。だが、選手が「この人についていけば大丈夫だ」と心から思えた瞬間、チームは別の力を発揮する。杉山はその真理を、十数年の指導の中で体に染み込ませてきた。明豊が3年連続でウインターカップの舞台に立てた理由は、戦術でも技術でもない。そこには、選手一人一人に寄り添い続ける指導者の魂があり、「役割を与え、人として育て、最後の一瞬まで信じ切る」というブレない姿勢がある。

 プレーの善し悪しより、まず人としてまっすぐに。チームの和も大事だが、自分の居場所を確かに。勝利より、その過程で得る成長を大切に─。杉山の指導には、そんな哲学が静かに流れている。

 杉山のバスケットは、常に人の温度を帯びている。その温度は、言葉や技術だけでは伝わらない現場での熱であり、選手の心を動かす、唯一無二の熱源だ。そしてその温度は、これからも明豊の体育館に満ち続けるだろう。選手たちの汗と涙が交錯するあのフロアで、杉山の情熱はまた新たな世代を照らし、次の物語を紡いでいく。

■プロフィール■
杉山真裕実(すぎやま・まゆみ)
1970年8月13日生まれ、大分県大分市出身。中学からバスケットボールを始め、大分女子高、樟蔭東短大を経て実業団ユニチカで7年間プレー。全ポジションを経験し1部昇格に貢献。引退後に帰郷し、2010年より明豊高校女子バスケットボール部監督を務める。

全国大会出場歴
インターハイ(2021、2024、2025)
ウインターカップ(2015、2023〜2025)


【編集後記】
 杉山真裕実という指導者の言葉には、飾り気がない。だが、その奥にある覚悟と優しさは、聞く者の胸を確かに揺らす。「バスケットを嫌いにさせたくない」「チャンスは絶対に与える」。その言葉は、勝敗の先にある“人を育てる”という明確な信念から生まれている。取材の途中、彼女が何度も口にしたのは「選手がバスケを続けてくれればそれでいい」という一言だった。シンプルだが、指導者として最も大切なものが、その一言にすべて宿っていると思えた。勝利はいつか消える。だが、選手に残るものがあるなら、それは指導者にとっての勲章だ。杉山の情熱が灯し続ける明豊のバスケットは、これからも多くの選手にとって“帰りたくなる場所”であり続けるだろう。(柚野真也)


大会結果

2023年度