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トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑤ 西山哲平(大分トリニータGM)

トリニータの歴史を彩った選手たちの今⑤ 西山哲平(大分トリニータGM)

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの光と影の歴史を彩った個性豊かな選手たちのインタビュー企画。第5回は、2002年のクラブ初のJ1昇格に貢献し、その後はチームに欠かせないユーティリティー選手となった西山哲平。引退後はフロントの一員として手腕を振るうGMが、クラブの歴史をひもといた。

 

チームに欠かせない存在になる

 

Q:現役時代は2002年に大分に加入し、その年に“悲願のJ1昇格”の立役者の一人となりました。

 加入した初年度にJ 1昇格という成績を残せましたが、その前年、前々年にギリギリのところで昇格を逃した背景を知っていました。大分への移籍を決めたとき、それ相応の覚悟を決めて来ました。深くいえば、前年度にトリニータと対戦するときは就職活動のような思いで自分をアピールしていたのを思い出します。当時は(在籍していた)山形より大分の方がJ1に近いチームだったことは確かで、評価してもらって移籍できたことはうれしいことでした。僕を含めて新加入の選手が多かった年でした。プレシーズンからチームづくりが順調とはいえなかったという記憶が強いです。トレーニングマッチでは勝てない試合が多くて、すごい不安を感じて開幕戦を迎えましたが、手堅い試合が多かったなかで勝ち点を積み上げ、負けないチームになったと思います。

 

Q:昇格後は毎年、残留争いを強いられました。

 昇格しても盤石な戦力が整っていたわけではなく、相当な苦労はすると思っていました。ただ、長丁場のJ2(当時は44試合)を勝ち抜いたことで、チームに粘り強さは根付いていた。小林伸二監督はそういうチームをつくる監督だったので、勝負に対する強い気持ちを大事にする集団になっていました。

 

Q:大分での現役時代は中核を担いましたが、印象に残ったシーズンは?

 僕は一人で局面を打開できるような選手じゃなかったので、どんな役割でもできる、チームに欠かせない存在になりたいと考えていました。特にベテランと呼ばれる年齢になってからは、先発の11人に入ってなくても、与えられた時間で仕事ができる存在になろうと思っていました。その中で充実したシーズンと言われれば、ナビスコカップで優勝した2008年は確かに大きな出来事だったのですが、2002年に昇格を決めた年も非常に思い出深い。クラブにとって初めてJ1をつかんだ年というのもあり、甲乙つけがたいですね。

 

適時・適材・適所で活躍した西山哲平

 

大分オリジナルの育成モデルを作る

 

Q:2009年に現役を引退しますが、大分に残った理由は?

 大分との契約が更新されない状況になって、現役選手としてプレーはできたかもしれないが、他のクラブのユニフォームを着ているイメージができませんでした。リクルートは一切しなかったし、トライアウトも受けなかった。サッカー以外の職種も考えていましたが、漠然と大分への恩返しが使命なのかなと思っていたときにオファーを受けました。体が動くうちに現場に出るイメージはありましたが、強化部のスカウト担当となりました。正直、最初は社会人1年目のようなもので、サッカー以外の世界を知らなかったので、与えられた仕事を全うすることを考えていました。そこから強化部の部長、GMの立場となり、J3からJ1まで上がることができました。多くの方に評価してもらいましたが、自分の中では決して満足するものはなかったです。日々、自分の力のなさを感じているし、クラブに対して何ができるか自問自答しています。成果がすぐにはっきり見える仕事ではないので、自分のなかで確固たる要因を見つけたい。チームが良い成績を残しても、すごい不安があるからリスクマネジメントを徹底するし、謙虚でいたいと思っています。

 

Q: GMとして心掛けていること、そして、クラブの理想は?

 今までもアカデミーを気にしてなかったわけでないですが、トップチームだけでなくクラブ全体のことをより考えるようになりました。幅が広がってきているし、サッカー部門だけでなく、クラブ全体を考えて行動するように心掛けています。

 クラブの理想は、大分の活力になるという理念に基づき、躍動感のあるサッカーを提供したいです。見ていてワクワクするサッカーを見せたい。それがプロの団体としての役割だと思います。そのためには、それに見合った選手を育てるクラブを確立したいですが、簡単ではありません。活躍した選手が他のクラブに引き抜かれるという言い方は良くないですが、他のクラブから評価されて移籍して活躍することはクラブとしては喜ばしいことで、新たな選手をアカデミーから補充するというサイクルが完成すればいい。それができて初めて、育成型のクラブといえると思っています。クラブの財力を考えても他のクラブとのマネーゲームには勝てないのが現状。育った選手には大分に残ってほしいですが、他のクラブに羽ばたくのがダメージだけではないと思っています。

 

Q:今後の目標は?

 大分の哲学は育成型クラブであること。アカデミーを充実するためにトップで活躍する選手を輩出し、ゆくゆくはトップチームの選手50%をアカデミーの選手に、プラス、プロ入り3年目までの大卒選手などを育成のセットにして考えたい。大学では無名だったDF鈴木義宜がチームに欠かせない選手になったし、アカデミー出身のDF岩田智輝がすごいスピードで成長できたのは、片野坂知宏監督はじめトップチームのスタッフが出場チャンスを与え、育ててくれたおかげ。鈴木、岩田をモデルケースとして、大分らしい育成をしていきたいです。そして、もう一度J1のタイトルを取りたいです。この2、3年の出来事ではないかもしれませんが、夢物語ではない。J1で戦う以上はタイトルを狙う。地方の財政規模の小さなクラブが勝てるほど甘くはないですが、やりがいがある。これまで応援、支援してくれた方々を喜ばせたい。どんなにしんどいことがあっても、それを忘れるほど喜べるのがタイトルだと思っています。

 

 

■プロフィール■

にしやま・てっぺい/1975年2月22日生まれ、千葉県出身。専修大松戸高校を中退してブラジルに渡りクリシューマECに所属、その後フジタ/湘南→山形→大分、大分トリニータ在籍は8年間。J1通算206試合14得点、J2通算117試合15得点。ユーティリティープレーヤーとして活躍し、サポーターからはその背番号にちなみ“ウルトラ7”と呼ばれ愛された。2009年に引退し、現在は大分トリニータのGM職に就く。

 

(柚野真也)  

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