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トリニータの歴史を彩った選手たちの今① 高松大樹(大分市議会議員)

トリニータの歴史を彩った選手たちの今① 高松大樹(大分市議会議員)

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの歴史をひも解くと、「最短JFL昇格」、「最終戦の悲劇」、「J1昇格」、「万年残留争い」、「ナビスコカップ優勝」、「経営危機」、「J2・J3降格」、「2段階昇格」など、いくつものキーワードが浮かんでくる。その光と影のなかで歴史を彩った個性豊かな選手たち。彼らの“今”を追った。第1回は高松大樹。今なおファン、サポーターに愛されるミスタートリニータが栄光と挫折の歴史を語ってくれた。

 

栄光と挫折の歴史

 

Q:ミスタートリニータとして数々の記憶に残るゴールを決めましたが、印象に残っている試合は?

 やはりヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)の決勝戦です。九州で優勝したチームはなかったし、地方クラブでもタイトルを取れることを証明した。夢や希望を与えることができたし、トリニータの歴史をつくった自負はあります。けがで決勝戦の2、3週間前に復帰して、本調子ではなかったので、まさか先発で出場するとは思っていなかった。先制点を決めたときのスタジアムの爆発したような声援は忘れられません。この年(2008年)はシーズンを通してチームの調子は良かった。クラブ最高のリーグ戦4位で終わることができました。結果が出ていたこともありますが、日本人選手と外国人選手の壁がなく、試合をつくれるベテランと勢いのある若手がかみ合っていました。

 

Q:大分で16年間プレーし、歓喜と悲哀も味わったと思います。

 良かったときなんて一瞬、悪いときしかなかった。プロ入りして2年間は最終節まで昇格争いをしながらギリギリのところで逃したし、J1に上がってからは常に残留争いに巻き込まれていました。常に切羽詰まったシーズンを過ごして、おかげでメンタルは強くなりました。ただ、代償も大きかった。残留に向けて緊迫した状況で、けがをしていても無理して試合に出ていたので体が壊れました。無理せず完治するまで休んでいたら、もっと長く現役を続けられていたかもしれない。残念な思いはあるけど、どのシーズンも常に全力でプレーでしたので悔いはないです。

 

Q:クラブの経営危機に直面し、J2降格を経験しました。

 2009年のJ2降格は本当に辛かったです。これまで先輩方が苦労してJ1に昇格したことを知っていたし、本当に申し訳なかった。だから降格した試合の直後に翌年もチームに残留することを宣言したのですが、その直後にクラブに莫大な負債があることが発覚した。正直、もっと早く選手に知らせてくれよと思いました。自分にはチームに残る選択肢しかなかったし、主力選手が大量に移籍していくのを見ていることしかできず悔しかったです。

 

記憶に残る数々のゴールを決めた高松大樹

 

三位一体がトリニータの形

 

Q:J1からJ3まで全てのカテゴリーを経験して感じたことは?

 やはりトリニータはJ1にいるべきです。メディアの取り上げられ方が全然違う。選手にとってもステータスだし、待遇もいい。僕は練習場を転々とし、クラブハウスもなかった時代を経験し、クラブの成長を見てきたからこそ、今の状況は最高だと思います。J2、J3に降格したときに年俸は落ちたけど環境はあまり変わらなかった。それはクラブが土台を築きあげたからこそだと思います。現役の選手に、これまでのクラブの苦しかった歴史を背負わせる必要はないですが、行政、企業、県民、サポーターが三位一体でチームを支えてくれている歴史を知って戦うことは大事だと思います。J1からJ3まで行き来し、停滞や挫折、降格した黒歴史もトリニータを語るうえで重要なのかと思います。

 

Q:現役を離れて3年経ちましたが、現在のトリニータをどのように見ていますか?

 解説の仕事もしているので客観的に見ることができています。戦術的なことを言えば、片野坂(知宏)監督のサッカーが浸透していると思います。自分たちが主導権を握って試合をする戦い方は見ていて面白いし、個人の力でなく組織で戦うのはトリニータらしいと思います。今はコロナウイルスの影響でリーグ再開のめどが立たず、選手はコンディションづくりが大変だと思います。それでも再開を楽しみに待っているファン、サポーターがいるので、元気な姿を発信してほしいです。

 

Q:高松さんが引退して以降、チームの顔となる選手、ミスタートリニータの継承者が出ていません。

 それは周りの方が決めることなので僕が何か言うことはない。ただ、地方だからこそチームの顔となる選手がいた方が盛り上がるし、分かりやすいとは思います。チームのために戦い、結果も残す。そんな選手が出てきてほしい。特に大分出身者やユース出身者は頑張らないと。トモキ(岩田智輝)には、その素質があるので期待しています。延期になり年齢制限などの問題はありますが、オリンピックに出場して、日本代表に定着してほしい。僕はアテネオリンピックに出場して、サッカー観がガラリと変わった。世界で戦うことを意識するようになったし、向上心の高い選手とプレーすることでサッカーがうまくなりたいと強く思うようになりました。

 

日本代表でも活躍した

 

成功も失敗も糧にすればいい

 

Q:引退後の話を聞きたいのですが、あらためてサッカーとは異なる道を志した理由は?

 サッカーとは全く別の道を選んだという感覚はないです。単純に大分に恩返しがしたかったという思いが強く、自分に何ができるかと考えたとき、スポーツを通して大分の魅力を全国に発信したいと思いました。その思いを実現するために選んだのが市議会議員になることでした。今になれば思い切ったことをしたと思いますが、新しいことを始めることにちゅうちょすることはなかったです。

 

Q:議員活動だけでなく、女子サッカーの普及活動やユーチューバーとしても活躍しています。

 自分からサッカーを切り離すことはできません。これからも何らかの形でサッカーに携わりたい。人生のほとんどの時間をサッカーに費やしてきたので、これまで経験したことや楽しさを伝えたいです。ユーチューブは今年から始めたのですが、一番の目的は大分の魅力発信です。大分の食や文化、温泉など誇れるものは多い。この魅力を全国に発信したかったし、S N Sで情報を発信する若い世代とつながりたいと思っています。

 

Q:今後の活動は?

 今できることを全力でする。それは現役時代の頃から変わりません。サッカー界と大分に恩返しできることがあればなんでも挑戦したい。ネガティブに考えず、新しいことにどんどん挑戦したいです。成功も失敗も繰り返して糧にすればいい。それはトリニータで学んだことなので。

 

 

■プロフィール■

たかまつ・だいき/1981年9月8日生まれ、山口県宇部市出身。大分トリニータ―F C東京―大分トリニータ、大分トリニータ在籍は16年間。J1通算195試合45得点など。日本代表2試合、アテネオリンピック出場。現在は大分市議会議員。

(柚野真也)