
【指導者の肖像〜高校スポーツを支える魂〜】 信じる力が未来を変えていく 柳ケ浦高校バスケットボール部監督・中村誠(前編)
バスケ
監督自身が現役時代から指導者に至るまでの過去を振り返り、現在の指導法、今後のビジョンについて語るインタビュー企画。第4回は、別府溝部学園高校赴任2年目から全国高校バスケットボール選手権大会(ウインターカップ)に連続出場し、昨夏は全国高校総体(インターハイ)出場に導いた末宗直柔監督。現役時代から指導者になる経歴まで “ぶっ飛んだ”異端児の監督哲学に迫った。
型にはまらない人生を歩む末宗直柔は、強烈な個性と思考で強いチームをつくり上げている。「毎日同じ練習をしていても選手は飽きる。繰り返すことの基本は必要だが方法を変えればいい」と、同じ練習をすることを極度に嫌い、采配も特殊。常にコートに立つ選手を入れ替え、ベンチにいるメンバーを全員使うのが末宗流。「メンバーに選んだからには全員が戦力。誰でも試合に出て活躍できることはある。それが1つなのか2つ、3つなのか―差はあるが“適時適材適所”さえ見極めればヒーローになれるチャンスはある」と話す。
中学の頃の夢は「日本バスケットボール協会の会長になって、日本のバスケを世界に広める」とぶっ飛んでいる。選手でもなければ、指導者として世界を目指すのではないところが末宗らしい。今でもバスケットボールこそがキング・オブ・スポーツとの思いは強い。「考えたことを形にする楽しさがバスケにはある。ただ、それを自己満足で終わらせるのではなく第三者に伝えてこそ価値がある。僕は今の与えられた場所で自分なりにバスケの魅力を発信したい」と話す末宗が、バスケットボールと出合ったのは小学3年生の時。担任がミニバスケットボールクラブを作り、「全国大会に出場してディズニーランドに行こう!」の言葉に惹かれた。「小学生の自分にとっては具体的にイメージできる目標がディズニーランドだったし、他のメンバーもそうだったと思う。きつい練習でもみんなんで『ディズニーランドに行こう!』みたいな雰囲気で乗り越えることができた」。特別な練習をした記憶はないが、小学6年で目標を達成する。夢に向かって本気で練習し、言い続けることでかなうことを知った。この成功体験は指導の柱となっている。
「暗黒の時代」と振り返る高校時代は波乱に満ちていた。中学では主だった実績を残せなかった末宗だが、名門・福岡第一高校に入学する。「中学2年の頃から練習参加していたが、実際に入部すると練習の質、量ともけた違いでついていけなかった。当然、試合にも出られないし、バスケが嫌いになって何度も退部届けを出したが、受け入れてくれなかった」。ならばと2年生になるとマネージャーを申し出てチームを支えたが、代替わりするとキャプテンに任命され、選手として復帰する。「マネージャーだったが練習後に自主練をしていたので選手復帰は問題なかったけれど、キャプテンのプレッシャーは半端なかった。監督に怒鳴られる毎日で、試合に出ると緊張で体が動かず思うようにプレーできなかった」。それでも3年時にはインターハイに出場したが、自身はコートに立てずに終わった。
就任2年目で全国大会へ導いた末宗直柔監督
高校卒業後は「バスケが目に入らない生活をしたい」とボールやシューズ、過去の写真などすべてを捨ててリセット。芸能学校に通いながらタレントを目指した。何もかもが新鮮で楽しかったが、1年過ぎた頃にはやはりバスケットボールを諦めることができず、プロバスケットチームのトライアウトを受けるようになる。1年間のブランクはあったが、「あの頃は希望に満ちあふれていた。バスケができることが楽しかった」。バイトをしながら、練習する毎日。ショルダーバックにボールとシューズを入れて、暇さえあれば練習した。「地域の体育館でバトミントンをしているおばちゃんに頼んで、空いているスペースを貸してもらってフットワークしていた」。好きこそものの上手なれ。パフォーマンスは上がり、「自分のバスケ人生で最高のプレーができるようになった」。トライアウトでは最終選考に3度残ったが、契約には至らなかった。「1年間本気でバスケをした。やり切ったし、吹っ切れた」と21歳から大学に通い、指導者を目指した。
大学在学中から外部コーチとして指導に携わり、卒業後は臨時講師をしながら監督として指導した。「ドリブルもシュートもできない素人を教えるのが楽しかった。どんな言葉を掛けたときに、どんな動きをするのか。思考力を高める勉強になった」との考えは、今に至るまで末宗の幹をなしているといっていい。その指導力が本当に開花したのは別府溝部学園に赴任した2017年からだろう。「バスケ経験者に指導するのだから楽。0から1にするのは大変だし、時間がかかるけど1を2、3と積み重ねるのは難しいことではない」と言い切る。現在35歳と若いが紆余曲折の人生で学んだ引き出しは多く、人身掌握術も長けていた。学校側の選手強化も重なり、2年後にはウインターカップに初出場し、結果を出した。
「選手の能力を引き出すためには柔軟性を持たないといけない」というように、末宗は個人とチームのバランスに細心の注意を払ってチーム作りを行う。チームとしての役割を明確にした上で個性が生きてくれば、チームは盤石になる。選手の質や相手との実力差を見た上でバランスを保ち、「個人とチームの両立」を実現することが末宗のテーマなのだ。理想を持ちながらも、与えられた環境で結果を出すことにやり甲斐を感じている。
末宗直柔
1985年10月8日生まれ、O型、春吉中学(福岡県)→福岡第一高校→日本経済大学
指導者として譲れないものは?
変わらないために変わり続ける
勝てるチームの条件とは?
1言ったら10になる変幻自在なチーム
高校生の自分にアドバイスするなら。
全てが自分の力になる
自己分析バロメーター
攻 撃 的○○●○○守 備 的
個 人 ○○○●○組 織
スペクタクル○○○○●リアリズム
理 論 派○○●○○感 覚 派
(柚野真也)
地区を選択
学校名を選択