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それぞれの選択③ フェンシング男子フルーレ 中村太郎(法政大学1年)

それぞれの選択③ フェンシング男子フルーレ 中村太郎(法政大学1年)

 人生には岐路がある。競技人生に没頭する道もあれば、これまで続けた競技に別れを告げる道もある。確かな足跡を残したアスリートには「それぞれの選択」の物語があった。第3回はフェンシングの男子フルーレ中村太郎(大分豊府高卒、法政大学1年)。

 

 高校3年間での実績は申し分ない。全国高校総体、国体で日本一となり、17歳以下の国際大会でも世界一となった。フェンシング男子フルーレの中村太郎(法政大1年)は、さらなる飛躍の場を求めて今春大学に進学し、日本代表選手が多数在籍する場で日々精進している。「練習環境や取り巻く環境は変わり刺激が多い。いろんな技を見て覚えることができるし、練習に取り組む姿勢や試合に対する考え方など、経験のある先輩たちから学べることは多い」と充実感を口にする。「誰にも負けないチャンピオンになる。それを証明するのがオリンピックの金メダルであり、世界ランキング1位だと思っている」。明確な目標を持つ中村は着実にステップアップしている。

 

 現在の日本フェンシング界で日本代表として世界と戦う県出身選手は多い。今年7月の世界選手権(ブダペスト)には、男子フルーレの敷根崇裕(大分市出身、法政大)、女子フルーレの上野優佳(別府市出身、星槎国際高)、同エペの大石栞菜(大分市出身、山九)、同サーブルの江村美咲(同市出身、中央大)の4選手が出場した。この他にも日本代表のナショナルチームに名を連ねる。フェンシングを始めた小学2年の頃から先輩や同年代の活躍を見てきた中村にとって、日本一ではなく国際大会で結果を残したいと思うことは当然の流れだった。

 

大学に進学し、心技体を磨く中村太郎

 

 父・修さん(大分豊府高教諭)がフェンシングの指導者であったことから、幼い頃から遊び感覚で練習場について行き、敷根や大石らにかわいがってもらった。父が教えるまでもなく兄や姉のように慕う先輩たちの練習を見て、技を体得していく。攻撃にたけた選手がいれば、守備を得意とする選手もいる。身近にいた最高の教材から学び、「攻撃や守備に特化せず、苦手意識をなくす」ことでオールラウンドのフェンサーとなった。

 

 19歳の中村はジュニア(20歳以下)のカテゴリーに属するが、五輪出場の夢をかなえるためには年齢制限のないシニアのカテゴリーで結果を出さなければいけない。現時点の自身の現在地を確認するために出場した「全日本フェンシング選手権大会」(9月19〜21日)では、決勝トーナメント1回戦で敗退。腰のけがで不安を抱えていたため、「いつものキレがなく、思い切りのよい踏み込みができなかった」と敗因は明らかだった。

 

 ただ、大きな成長が見て取れたと修さん。「これまでなら負けを引きずっていたが、次に向けて気持ちを切り替えていた。今大事なのは体のケアであることも分かっていた」。元々、自分で課題を見つけ、修正できる能力は高かったが、気持ちをコントロールし、冷静に自分を客観視できる選手になった。強豪校への進学は間違いでなかった。

 中村は「勝ったり負けたりを繰り返して強くなる。先輩たちもそうして成長している。勝っておごらず、負けを受け止め次への糧にする」と、真っすぐ前だけを向いていた。狙うは東京五輪ではなく、その次の2024年のパリ五輪。目標が明確だ。

 

全日本選手権では結果が出なかったが成長した姿を見せた

 

(柚野真也)