
珠玉の一枚 Vol.41 【大分県】
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東京五輪出場を目指すフェンシングの女子エペの大石栞菜(山九)は19日に東京都であった第72回全日本フェンシング選手権大会(個人戦)で準優勝した。表彰台では、「緊張感のある大会でいろんなアクシデントがあったが、よくここまで勝ち上がることができた。優勝できなかった悔しさはあるが、11月から始まるワールドカップに向けて手応えはある」と語った。
大分市出身の大石はフェンシング界では名の知れた存在だ。小学1年でフェンシングを始め、幾度となく日本一を経験している。将来を嘱望され、法政大時代はフルーレ個人でワールドカップに出場し、フルーレ団体では全日本大学対抗選手権大会で優勝。日本代表ナショナルチームに選出される存在となった。
「腕っ節が強く、男前」。幼い頃からの指導者が彼女を形容するときに必ず出る言葉だ。運動能力が高く、スピードとパワーが桁外れのフェンシングスタイルもそうだが、負けん気が強く、竹をスパッと割ったような性格がそう言わせる。周囲との衝突を恐れず、己の信じたことを貫く。練習メニューひとつでも納得できなければ、「なぜこの練習が必要で、何を何のためにするのかハッキリしなければ意味がない。納得できないと練習する必要がない」と臆することなく口にする。ただ、納得すればひたむきに努力できる。飛び抜けた集中力と勝利に対する執着心が、大石を成長させた。
東京五輪出場を目指す大石栞菜
順調に競技キャリアを積んだ大石にもスランプがあった。17歳以下のカデ、20歳以下のジュニア、そして年齢制限がなくなったシニアと、カテゴリーが上がるにつれて勝てなくなり、行き詰まった時期があった。転機が訪れたのは大学4年になった頃。フルーレからエペの本格転向を勧められた。惰性で競技を続けていた大石は、「フルーレに比べ競技人口が少ないしチャンスと思った」と新たな挑戦に活路を見出した。エペはフルーレと異なり、頭からつま先まで全身が有効面となる。フルーレのように攻撃権はなく、攻守一体。スピーディーで変化の多い試合展開は大石を惹きつけた。何よりエペは決闘そのものから発展した競技といわれる。くすぶっていた闘争本能が再熱した。
あれから4年。2017年にはアジア選手権でエペ団体3位、18年アジア大会エペ団体3位を皮切りに国際大会で結果を出し、19年の世界選手権ではエペ団体で11位。昨年12月には国内ランキングトップとなり、着実に東京五輪に向けて力をつけている。
先日の全日本選手権では、初戦から左足ふくらはぎを攣(つ)り、思い切ったアタックができなかった。それでも、「(動けなくなったことで)突っ込んで攻撃せずにカウンターを狙った」と戦術を変えた。追い詰められ、集中力が研ぎ澄まされたのだろう。その後は冷静にポイントを重ね、勝利を重ねたが、決勝で力尽きた。「スーパーシードで追われる立場となり、受け身になったことは反省材料。緊張で体が硬くなり足が攣ってしまった」と悔し涙を流したが、「状況に応じて柔軟に戦えたのは収穫。11月から始まるワールドカップに向けて予行練習になった」と前を見据えた。
来年5月まで東京五輪代表争いが続く。東京五輪を競技人生の集大成とし位置付けている大石は、「選手として体力、技術、経験、全てにおいてピークを迎えようとしている」。調子は上向きだ。
状態は悪かったが全日本選手権で準優勝した
(柚野真也)
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