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柳ケ浦高校 原田涼平 一度もサッカーをやめたいと思ったことはない

柳ケ浦高校 原田涼平 一度もサッカーをやめたいと思ったことはない

 高校3年間、部活動に励み、精一杯の努力を続けた3年生。それぞれの競技で高校最後の晴れ舞台を目指し、県予選を戦った。一つひとつのプレーに歓声がわき、ゲームセットで悲鳴のような歓声がわく。ここでは敗者が多数だ。全国大会への切符を手にするまでの道は険しい。負けて涙を流す者、全てを出し切り笑顔を見せる者。そんな3年生の姿を追った。

 

 柳ケ浦高校サッカー部

原田 涼平(はらだ・りょうへい)

ポジション:DF

学年:3年

生年月日:1999年7月2日

身長・体重:166cm・57kg

前所属チーム:妻ヶ丘中学校(宮崎県)

 

 柳ケ浦高校サッカー部の練習風景には、圧倒される。部員は100人を超える大所帯。その全員が揃いの黄色い練習着に身を包み、県下随一の規模を誇る専用グラウンドを動きまわるのだ。その中に小柄だが人一倍ガッツのある選手を見つけた。体を張って、顔を歪めながら、背の高い選手とボール際で競っている。身長166センチ、体重57キロ。原田涼平の個性は、がむしゃらに体を張れる守備と、相手が疲れてきたときを好機とばかりに走り込み、クロス攻撃を仕掛けられる粘り強さだ。

 

 小学1年生のとき、兄の影響でサッカーを始めた。生まれつき左手にハンディキャップを抱えていたが、それを物ともしないどころかすっかりサッカーにハマってしまい、やがて全国を目指したいという気持ちが芽生えたという。「スローインで不利だしバランス感覚も難しいとは思う。でも損したことはないし、一度もサッカーをやめたいと思ったことはない」

 

 高校の進路を決める時期に、柳ケ浦高校のインターハイ出場を知り、野口健太郎監督と出会った。選手を受け入れるとき、どの入部希望者とも膝を突き合わせて話をするのが野口監督のスタイル。「がんばれば絶対にレギュラーを勝ち取れるし、最後まで面倒を見る」という言葉が背中を押すことになり、宮崎県の親元を離れた。

 

 

 ガッツあるプレーの源は、毎日欠かさず行うという自主練。「筋トレや体幹トレーニングを誰よりもやっているという自信がある」というが、たとえそう言われなかったとしても、練習着からのぞく筋肉が日々の努力を物語っている。大好きなサッカー選手は長友佑都。サイドバックを任されてからというもの、長友選手の食事やトレーニングなど、すべてを手本にしているという。

 

 普段はまったくハンディキャップを感じさせないし、周囲も気にせず彼にぶつかっている。しかし、つい最近、高校卒業後の進路に悩み、自ら障がいを理由に弱音を吐いてしまった。それが心に引っ掛かり、サッカーができない状態に陥ってしまったという。そんな彼の窮地を救ったのは、やはり野口監督の言葉だった。「お前はチームのためにプレーできるし、よくやっている。特別扱いして試合に出しているわけじゃない。出られない仲間のことも考えろ」。涙が止まらなかった。

 

 全国高等学校サッカー選手権大会(選手権)大分県大会を前に、「いろんな人が注目してくれているし、応援してくれている。ぶつかってくれた仲間や支えてくれた親に恩返しする気持ちで、一生懸命戦いたい」と、屈託のない笑顔を見せながら、その目はしっかりと前を見据えていた。自分を信じて、プライドを持って挑んだ高校最後の選手権。残念ながら柳ケ浦は初戦で敗れたが、原田のサッカー人生は終わったわけではない。「指導者になるのが目標」と話していた彼の今後の活躍が楽しみだ。

 

 

(冨松智陽) 

大会結果