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【指導者の肖像〜高校スポーツを支える魂〜】 夢を追いかけて歩んだ原点の道 柳ケ浦高校女子サッカー部監督・林和志(前編)

【指導者の肖像〜高校スポーツを支える魂〜】 夢を追いかけて歩んだ原点の道 柳ケ浦高校女子サッカー部監督・林和志(前編)

 数々の女子プロサッカー選手を輩出してきた柳ケ浦高校女子サッカー部。2023年の全日本高校女子サッカー選手権大会、24年の全国高校総体で3位となり、悲願の日本一は目の前にある。その指揮を執るのが林和志監督である。全国有数の強豪校の指導者という肩書きの裏には、揺るぎない信念と、幼い頃から積み重ねてきたサッカーへの純粋な情熱があった。
 
 林のサッカー人生は、ごく自然に始まった。物心ついたときから、ボールは常に身近にあった。幼稚園の頃は友達と夢中でボールを蹴る日々。生まれは福岡県大牟田市で、すぐに中津市へと移り住み、沖代小学校で本格的にサッカー部に入ったのは小学3年の終わりだった。
 
 林少年は、好奇心旺盛で外遊びが大好きな子どもだった。机に向かうよりも広い空の下で思い切り体を動かす時間を楽しんでいた。中学生のころ、Jリーグが開幕。ヴェルディ川崎のきらびやかなプレーに心を奪われる。特に三浦知良、カズの存在は特別だった。躍動感あふれるプレー、華やかな存在感。画面越しに見たカズの姿が、林の心をつかんだ。
 
 特定のポジションはなく、センターバックからボランチまで、中央の位置でさまざまな役割を担い、サッカーの幅を広げていった。求められた場所で責任を果たし、常に全力でピッチに立つことを信条とした。名の知れた強豪チームに所属していたわけではなく、目立った戦績も残せなかった。しかし、「負けたくない」という思いは誰にも負けなかった。特に年下には絶対に負けたくないと、練習でも試合でも妥協を許さなかった。
 
 周囲には得点することに魅力を感じる選手が多かったが、林が心から引かれたのは守備だった。試合で無失点に抑えること、相手からボールを奪うことにこそ、大きなやりがいを感じていた。守備には特別な達成感があった。攻撃は何点取っても「もっと」という欲が生まれるが、守備には「ゼロ」という絶対的な到達点がある。無失点で試合を終えた瞬間の充実感は何にも代え難かった。「ゼロ」にこだわり続けたその姿勢が、林のサッカー観と人間性を形成していった。
 
 進学先は地元の耶馬渓高校(現中津南高校耶馬渓校)。大分サッカー界の重鎮として名をはせた恩師が進路を決定づけた。中学の同級生の父であり、大分でも屈指の指導者。熱心な誘いに胸を高鳴らせ、林は3年間、その指導のもとで鍛えられた。
 だが、3年間は決して甘くはなかった。恩師は厳格で、特に徹底されたのは“基礎基本”だった。華やかなプレーを求める年頃の少年にとって、地味な基礎練習は単調で退屈に思えるものだった。だが、時を経た今、「それが指導者としての礎となっている」と林は語る。「あの時の基礎がなければ、今の自分はなかった」。当時抱いていた感情と、現在の立場での理解が交差し、深い納得がそこにはあった。
 
 小学生の頃からキャプテン、中学でも副キャプテン、そして高校でもリーダーとしての役割は揺るがず、キャプテンを任された。リーダーとしての責任感が、林のサッカー観と人格をさらに鍛えた。
 現実は厳しく、全国大会への出場はかなわなかった。華やかな実績を残すことはできなかったが、それでも「サッカーを続けたい」という気持ちは一切揺らがなかった。高校2年生の終わりには、プロの道に進むこと厳しいと悟っていた。サッカーへの愛情を持ち続ける中で、次に自分が進むべき道が見えてきた。それが「指導者」だった。

 
林和志の三つの原点
守備にこそ誇りあり
ゴールを守り、無失点で終えることに最高の価値を置く。「ゼロ」は勝利の象徴。
基礎こそ裏切らな
地味で退屈に思えた基礎こそが、すべての土台。細部にこだわることで、選手は成長する。
人を育てることが夢
プロへの夢を経てたどり着いた「育成」の道。サッカーを通じ、選手の人間性を高めることが使命。
 

 林は恩師の背中を見ながら、いつしか「自分も誰かにサッカーの楽しさや奥深さを伝えたい」と思うようになった。サッカーを単なる競技として捉えるのではなく、人生を豊かにする一つの手段として感じ始めていた。だからこそ、大学進学の時点では指導者になる決意は固まっていた。
 
 九州共立大学に進学。大学サッカーでも一定の結果を残したが、大学3年生の時に大きなけがを負った。4年生で部活を離れたが、プレーヤーとしては地元の九州リーグに所属していた中津クラブで23歳まで現役を続けた。
 
 大学では指導者としての視点がより強く養われた。宮本輝紀監督(メキシコ五輪銅メダル獲得メンバー)の指導は、言葉少なながらも深く心に残った。「サッカーはもっと深く学ぶもの」。林のサッカー観はここで劇的に広がった。指導の一つ一つが、林の指導哲学の土台となった。
 
 一方で、教員免許の取得は平たんな道のりではなかった。部活動と教職課程の授業が重なり、大学生活で思うように両立できない日々が続いた。周囲の仲間たちが試合で活躍する姿を見るたび、次第に心は揺れ動き、「やはりサッカーに集中したい」と、一度は教員免許の取得を諦めた。だが、大学3年の進路アンケートで「教員に向いている」という診断結果を目にしたとき、心の奥底にしまい込んでいた思いが再び蘇る。「人を育てたい」という初心を思い出し、林は再び教員免許の取得を決意。卒業後も聴講生として学び直し、母校の九州共立大学、九州国際大学、さらには千葉県の聖徳大学まで足を運んだ。そして最終的に社会科の教員免許を取得し、指導者として新たなスタートを切ったのである。
 
 「自分はエリートじゃない」。そう語る林には、挫折と再起のリアルがある。高校時代も、大学時代も、輝かしい戦歴はない。しかし、そこで培った「サッカーと真摯(しんし)に向き合う姿勢」が指導の根底に流れている。指導者の道を歩む今、そのまなざしの先には「生徒を人として成長させる」ことがある。サッカーを通じて人間として豊かになってほしいと願っている。
 
 次回は、柳ケ浦高校女子サッカー部を全国有数の強豪へと導いた「指導者としての現在地」に迫る。林和志はどのように選手たちと向き合い続けているのか。そして、その指導の先に、どんな未来を描いているのか。
 

(柚野真也)


【プロフィール】
林和志(はやし・かずゆき)
1980年7月20日生まれ、大分県中津市出身。耶馬渓高校(現中津南高校耶馬渓校)、九州共立大学を経て社会科教員免許を取得。守備を信条とした現役時代を経て指導者の道へ。柳ケ浦高校女子サッカー部監督として数々のWEリーガーを育成。
全国大会出場歴
インターハイ(2017、2019、2024)
全日本選手権(2012、2013、2014、2016、2020、2021、2022、2023、2024)

大会結果