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監督の哲学② 「信念を貫く」東九州龍谷高校バレーボール部・竹内誠二監督

監督の哲学② 「信念を貫く」東九州龍谷高校バレーボール部・竹内誠二監督

 監督インタビュー企画の第2回は東九州龍谷高校バレーボール部の竹内誠二監督。自身の現役時代から指導者に至るまでの過去を振り返り、現在の指導法、今後のビジョンについて語った。昨年4月にU―20などの年代別女子日本代表の監督に就いた相原昇前監督から引き継ぎ、就任1年目で春の高校バレーで日本一を成し遂げた。前任者と同じく「24時間、365日バレーのことを考えても苦にならない」と自他ともに認めるバレー中毒だ。

 

ブレずに愚直に続ける

 

 監督に就任した当初に質問したことがある。―どのチームでも必ずうまくいかなくなる時期があると思います。そういった際に監督はどうやって立て直しますか?

 返ってきた答えはいたってシンプルだった。「これまで歴代の監督が築いた東龍(東九州龍谷)のバレーがある。それをやり続けるしかないでしょうね」。どんな苦境に陥っても、足元を見据えて継続していくのが竹内誠二のスタイルなのだろう。その哲学は日本一になった今でも、まったく変わらない。

 

 チームのカラーを決する重要な存在である監督の交代を機に「自分の色」を示す監督は多いが、竹内はそれをしない。「うまくいっているのだから変える必要はない。勝ったことがない人が自己流で指導しても勝てるわけがない」と身の丈を心得ている。東龍は常勝チームの礎を築いた大木正彦元監督、代名詞となった「高速コンビバレー」を構築した相原前監督の型がある。「まずはこれまでの指導を忠実に守り、基本を身につける時期だと思っている。そこから自分なりに磨き、その時代に合わせた指導ができればいいと思っている」と話す。

 

 バレーボール一家に生まれた竹内は小学生のころから父がコーチ、母が選手として練習するママさんバレーチームで遊びながら競技を学んだ。身長が低かった竹内は当時から試合をコントロールするセッターに憧れた。「パスは小学校のころからうまかった」と自負するとおり、中学でバレーボール部に入部するとすぐにレギュラーの座を射止める。3年時には県選抜のキャプテンとしてJOCジュニアオリンピックカップに出場した。また、両親が所属するチームが日本一になったことを目の当たりにし、日本一を目指すようになる。高校は強豪校の一角だった地元の津久見に入学したが、憧れの春の高校バレーには一歩及ばなかった。「日本一への思いはますます強くなった」と幾つかの推薦を断り、同年代のトップクラスが集まる日本体育大学に一般入試で進学する。

 

 大学時代は9人制のレシーバーとして活躍し、卒業後は東京のクラブチームで現役を続ける。2年間プレーし、全国2位となったところで2008年の大分国体に向けて強化するチームに呼ばれ、臨時講師として高校生の指導をしながら現役を続けた。大分国体後は指導者に専任し、今では想像し難い“鬼の形相”で猛練習し、弱小チームを鍛え上げた。そのアグレッシブな姿勢、バレーボール愛に目をつけたのが大学の先輩に当たる相原だった。「一緒に日本一を目指さないか」と誘われ、15年に東龍に赴任し、コーチとしてチームを支えた。

 

監督1年目で日本一を成し遂げた竹内誠二監督

 

約束事を重視し、シンプルに

 

 相原との出会いで、これまでの指導概念が一変した。「相原さんの指導はとにかく丁寧。選手目線で分かりやすく指導する。その選手が試合に出て活躍する姿まで想像しているし、選手をよく見ている」と驚く。選手との距離感は遠すぎず、近すぎず、平等に接する。練習後の相原とのミーティングでは、選手一人一人の細かい動きまで確認する作業が夜な夜な続いた。「コンディションの問題なのか、技術的な問題なのか。それなら次の日の練習では何をするのか。メニューは綿密に計画し、実行して、修正しての繰り返し。その熱量がすごかった」と振り返る。相原と過ごした濃密な4年間は、日本一になるための哲学を学んだ時間だった。

 

 そして昨年の4月、全国制覇12回の実績を持つ相原からバトンを受けた。「すごいプレッシャーだった。知らない人から『あなたじゃ勝てない』とメールが届くなど、誹謗中傷は少なくなかった」という。傷つくこともあったけど「結果を出すしかない。見とれよ!」とこれまで以上にバレーボールと向き合い、選手が力を出せる環境づくりに力を入れた。

 日本一を宿命づけられた指揮官にとって、現有戦力の持ち味をいかに発揮させるかが勝利への鍵だった。逆に言えば、選手のポテンシャルを100%引き出さなければ、全国の強豪チームに太刀打ちできないということだ。複雑なスタイルを採用すれば、それだけ要求される技術レベル、戦術レベルは高くなり、ミスが起きる可能性も増える。「時間差やクイックなど決まれば派手だが、それを成功させるために失点すれば意味がない。コートの横幅9㍍を存分に使った両サイドへの平行の“高速コンビバレー”を成熟させれば、そうしたミスを未然に防ぐことは可能だと分かった」。その上で個人の特徴を生かすことができればチーム力は上がっていく。日本一を経験して学んだことだ。

 

 チームの約束事を重視し、シンプルさを求めながら、選手の個性も生かす。それが竹内の理想とするバレーボールなのだ。竹内はあくまでもベースとなるスタイルを崩さないだろうが、現状は新チームとなり、これまでの東龍の歴史上、最も平均身長の低いチームとなった。高速コンビバレーを追求したまま、微調整で切り抜けられるのか。指揮官の腕の見せ所だ。どれだけ苦境に陥ろうとも、選手にはシンプルに、常に全力を尽くすことを求めて、状況を打開していく。そのスタイルは、これから先も崩れることはない。

 

 

プロフィール

 

竹内誠二

1975年2月20日生まれ、B型、津久見第一中学→津久見高校→日本体育大学

指導者として譲れないものは?

感謝の気持ちを忘れない

勝てるチームの条件とは?

選手全員が自分の役割を理解したチーム

高校生の自分にアドバイスするなら

日本一の夢はいつかはかなう

自己分析バロメーター

攻 撃 的 ○●○○○守 備 的

個 人   ○○○○●組 織

スペクタクル○○○○●リアリズム

理 論 派 ○●○○○感 覚 派

 

 

(柚野真也)