監督の哲学④ 「適時・適材・適所さえ見極めればヒーローになれる」別府溝部学園高校バスケットボール部・末宗直柔監督

2020/03/18
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 監督自身が現役時代から指導者に至るまでの過去を振り返り、現在の指導法、今後のビジョンについて語るインタビュー企画。第4回は、別府溝部学園高校赴任2年目から全国高校バスケットボール選手権大会(ウインターカップ)に連続出場し、昨夏は全国高校総体(インターハイ)出場に導いた末宗直柔監督。現役時代から指導者になる経歴まで “ぶっ飛んだ”異端児の監督哲学に迫った。

 

与えられた場所で自分なりにバスケの魅力を発信

 

 型にはまらない人生を歩む末宗直柔は、強烈な個性と思考で強いチームをつくり上げている。「毎日同じ練習をしていても選手は飽きる。繰り返すことの基本は必要だが方法を変えればいい」と、同じ練習をすることを極度に嫌い、采配も特殊。常にコートに立つ選手を入れ替え、ベンチにいるメンバーを全員使うのが末宗流。「メンバーに選んだからには全員が戦力。誰でも試合に出て活躍できることはある。それが1つなのか2つ、3つなのか―差はあるが“適時適材適所”さえ見極めればヒーローになれるチャンスはある」と話す。

 

 中学の頃の夢は「日本バスケットボール協会の会長になって、日本のバスケを世界に広める」とぶっ飛んでいる。選手でもなければ、指導者として世界を目指すのではないところが末宗らしい。今でもバスケットボールこそがキング・オブ・スポーツとの思いは強い。「考えたことを形にする楽しさがバスケにはある。ただ、それを自己満足で終わらせるのではなく第三者に伝えてこそ価値がある。僕は今の与えられた場所で自分なりにバスケの魅力を発信したい」と話す末宗が、バスケットボールと出合ったのは小学3年生の時。担任がミニバスケットボールクラブを作り、「全国大会に出場してディズニーランドに行こう!」の言葉に惹かれた。「小学生の自分にとっては具体的にイメージできる目標がディズニーランドだったし、他のメンバーもそうだったと思う。きつい練習でもみんなんで『ディズニーランドに行こう!』みたいな雰囲気で乗り越えることができた」。特別な練習をした記憶はないが、小学6年で目標を達成する。夢に向かって本気で練習し、言い続けることでかなうことを知った。この成功体験は指導の柱となっている。

 

 「暗黒の時代」と振り返る高校時代は波乱に満ちていた。中学では主だった実績を残せなかった末宗だが、名門・福岡第一高校に入学する。「中学2年の頃から練習参加していたが、実際に入部すると練習の質、量ともけた違いでついていけなかった。当然、試合にも出られないし、バスケが嫌いになって何度も退部届けを出したが、受け入れてくれなかった」。ならばと2年生になるとマネージャーを申し出てチームを支えたが、代替わりするとキャプテンに任命され、選手として復帰する。「マネージャーだったが練習後に自主練をしていたので選手復帰は問題なかったけれど、キャプテンのプレッシャーは半端なかった。監督に怒鳴られる毎日で、試合に出ると緊張で体が動かず思うようにプレーできなかった」。それでも3年時にはインターハイに出場したが、自身はコートに立てずに終わった。

 

就任2年目で全国大会へ導いた末宗直柔監督

 

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