トリニータの歴史を彩った選手たちの今④ 首藤謙二(大分鶴崎高校サッカー部監督)

2020/04/24
  • 大分トリニータ

 大分トリニータの歴史を彩った個性豊かな選手たちの“今”を追ったインタビュー企画。第4回はクラブ黎明期にプレーした首藤謙二。当時は教職員など仕事をしながら活動していたアマチュア選手主体のチームだった。県リーグや九州リーグでの戦いを知る数少ないクラブOBに、現在のチームに何を感じ、どんな期待をしているのか聞いた。

 

大分出身選手が活躍してほしい

 

Q:現在は母校の大分鶴崎高校サッカー部の監督を務めていますが、トリニータでプレーしたきっかけは?

 私がプレーしていたときはクラブの立ち上げの時期で、高校のときの同級生の元田忠男や佐藤考範(カティオーラF C代表)に誘われてセレクションを受けたのですが、100人ぐらいいて驚いたのを覚えています。3人とも合格して、私は教員をしながら練習や試合に参加していました。県リーグからスタートした1994年は全員アマチュア選手で、仕事が終わってから夜の練習でした。九州リーグ、JFLとカテゴリーが上がるにつれて練習が夕方や昼になって、仕事を続けながらチームに帯同するのは物理的に難しくなったので、3年で辞めることになりました。

 

Q:県リーグから全国リーグのJFLにクラブが一気に駆け上がった時期ですが、九州リーグでは16試合出場10得点で昇格に大きく貢献しています。

 九州リーグで優勝して、各地域のクラブがJFL昇格を懸けた全国地域リーグ決勝大会の前に、韓国代表で活躍したファンボさん(皇甫官)らが加入して、一気にチームの雰囲気は変わりました。本気でJ リーグを目指す空気になりました。

 当時は4−4−2のボックス型の布陣で、2トップに韓国人選手が入って、僕はトップ下で前線と後ろをつなぐ汗かき役でした。アグレッシブにボールを奪って、サイドに展開する形が多かったです。前線の2人はボールが収まったし、フォローにいけばパスも出たので、やりやすかったです。

 

Q:クラブ立ち上げの頃を知る選手として、現在のクラブ、チームはどのように映っているのでしょうか?

 私が在籍していた頃は大分出身選手が多く、九州のチーム、地域のチームとして上を目指そうという感じでした。レベルが上がり、J1で戦うとなれば仕方ないことですが、大分出身の選手がチームの主体となるようなチームになってほしい。大分出身の選手がレンタルや移籍するのを見るのは辛いです。プロの世界は実力主義なのは分かっています。クラブもJ2に降格すれば経営も厳しくなると思いますが、これまで移籍した選手が戻って、最後は大分で花道を飾れるようなことに着手してもいい時期なのかなとは思ったりします。

 チームは片野坂知宏監督になって、見ていて面白いサッカーをしていると思います。相手を引っ張り込んでのカウンター、GK含めたポゼッションは素晴らしい。今後は相手に研究されてくるだろうから、どんな対応をするのか楽しみです。

 

JFLに昇格した頃からJ リーグを目指す機運が高まった

 

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