トリニータの歴史を彩った選手たちの今③ 有村光史(大分東明高校サッカー部監督)

2020/04/10
  • 大分トリニータ

 1994年4月の始動から四半世紀余り。大分トリニータの歴史を彩った個性豊かな選手たちの“今”を追ったインタビュー企画。第3回は左サイドの職人としてJ1昇格の原動力となった有村光史。昇格後も厳しい時代を支え、礎を築いた。現役引退後は“第2の故郷”大分に戻り、大分東明高校で体育教師として教壇に立つ傍らサッカー部の監督として指揮する。

 

大分で過ごした濃密な時間に感謝

 

Q:J1からJ F Lまでプロサッカー選手として多くのカテゴリーを経験しましたが、大分トリニータ在籍時の思い出を聞かせてください。

 大分では2002年から4年間プレーしましたが、僕のプロキャリアの中で一番試合に出させてもらったチームであり、J1昇格も経験させてもらいました。年齢的にもサッカー選手として充実していた。すごく成長させてもらったチームです。大分は今もそうだと思いますが選手とファン、サポーターの距離が近く、楽しかった思い出しかないです。

 

Q:大分でのベストゲームは?

 02年の昇格を決めた大宮戦。僕はその年に加入したのですが、3年連続であとわずかのところで昇格を逃したのは知っていたし、そのクラブからオファーをもらったことがうれしかったことを覚えています。当時の大分ではアグレッシブに戦うことを求められました。前から後ろまで守備意識をたたきこまれ、春先のキャンプからシーズンに入っても週明けの練習は4、5㌔を当たり前に走っていました。狙っていたかは分かりませんが1−0の試合が多かった。ボールを握られ(保持され)、シュート数も少なかったですが、1点を取ったら勝てるという思いが選手にあり、1−0で勝つたびに自信がついた。昇格を決めた時の充実感はたまらなかったです。

 

Q:大分でプレーしていた時にすごいと思った選手は?

 元オランダ代表のリチャード・ビチュヘ。加入したときは35歳ぐらいでピークは過ぎ、動けなかったけどボールの扱い方がうまく、奪われなかった。とりあえずビチュヘにボール預けとけ、みたい感じはありました。マグノ・アウベスもすごかった。スピードと得点力は半端なかった。ドドのテクニックも次元が違った。ポケットに手を突っ込んで練習をするようなタイプでしたが、紅白戦や公式戦で本気を出すと誰も止められなかったです。日本人選手だと吉田孝行。どの監督になっても試合に出ることができたのは、監督の求めることをよく理解していたからこそ。顔はカッコイイし、派手な感じもするけど、ハードワークができ、どのポジションでも結果を残したのはすごいと思います。ディフェンダーなら三木隆司と山崎哲也。1対1が強く、意外と知られていないけどスピードがあり身体能力が高かった。サッカーは攻撃の方が有利で、守備は攻撃のアクションに対してのリアクションになる。自分の逆を突かれたときにどれだけついていけるかが勝負になりますが、あの2人はスピードで振り切られるところを見たことがないです。

 

主力として勝利に貢献した有村光史(前列中央)

 

 

  • LINEで送る

関連記事

ページトップへ